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「あげる」行為は楽しいが、時に暴力的でもある。

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「あげる」と「もらう」です(本記事は2024年4月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 近所のおばあさんの家に行くと、いつも必ず、持っていった物以上の何かを持たせてくれようとするのでした。「これをあげる」「あれも持ってく?」と、お菓子やら自分が作ったお惣菜やらを、絞り出すかのようにこちらに渡してくれるのです。
 
 私はそれを有難くいただき、また「何かお返しを」ということになって……と贈&答の無限ループが続くのですが、まぁご近所づきあいというのは、そういうものなのでしょう。

 物をいただくのは、嬉しいものです。センスの良い人からの、センスの良いプレゼント。地方の友達から送られてくる、その土地ならではの産物。……等々、誰かが自分のために選んでくれたものは、日々の生活の中に新しい窓を開けてくれるのです。

 兼好法師は『徒然草』の中に、友達にするのに良い人・良くない人を挙げているのですが、「よき友」の一番目に書いているのが、「物くるる友」、すなわち物をくれる友、なのでした(ちなみに二番目は「医師」、三番目は「智恵ある友」)。

 何であっても簡単に手に入れることができなかった兼好法師の時代、思わぬ到来物は、今より何倍もの喜びをもたらしたに違いありません。「医師」も「智恵ある友」も大切なのであり、思わず、「わかるわぁ」という呟きが漏れます。

 もらうことが大好きな私は、あげることもまた大好きです。海外旅行に行くと、友人知人にあげるお土産を買いまくり、「お土産という習慣がなかったら、どんなにラクだろう」と思うのですが、しかし一方でお土産購入は、楽しくもある。甘いものが好きなあの人にはあのお菓子、このキャラクターが好きなあの人にはこのハンカチ……などと選ぶ行為もまた、我々にとっては立派な観光なのです。

 日本は、旅行土産やら中元歳暮やらといった贈答行為が盛ん、という話もありますが、個人的見解においては、中でも私を含め女性達は、贈答好きな気がしてなりません。子どもの頃から女子達は、何かというとプレゼントを送り合っていますし、世のおばあさん達を見ても、「与える」という行為に対する強い情熱を感じるのです。

 誰かに何かをあげるのは、楽しいものです。相手に喜んでもらえるのは嬉しいし、少し良いことをした気持ちになることもできる。

 しかし、あげるのが気持ち良いからといってどんどんあげまくることは、実は危険なのでしょう。本人は良いことをしているつもりでも、「あげる」という行為が、実は「あげたい」という欲求の発散に過ぎないこともある。もらう側には「いらないのに」とか「何か返さなくちゃ、面倒だなぁ」といった負担感が溜まる可能性もあると考えると、「あげる」ことは時に暴力的な行為なのかもしれません。

 うまくいった時はお互いハッピーだけれど、実は洗練されたマナーの感覚が必要な行為である、贈答。マスターするにはまだまだ時間がかかりそう、と思うのでした。
 
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『鉄道無常』(角川文庫)など。
※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。