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お墓の起源は? 仏の弟子にも問題児はいた? 僧侶が読み解く仏の逸話

 僧侶の多田修先生が当時のお墓参りの習慣を振り返りつつ、仏事の起源や仏さまにまつわる逸話を解説します。今回は「卒塔婆」と「仏前に食べ物をお供えする習慣」から、お墓の起源と当時の仏さまの弟子についてのストーリーを紹介します。

  お釈迦さまの遺骨・仏舎利を納めた塔を、サンスクリット語(古代インドの言語) でストゥーパと言います。この「ストゥーパ」の発音を漢字にあてたのが「卒塔婆」です。卒塔婆を省略した言い方が「塔婆」「塔」です。現在では「塔」は細長い建物の意味ですが、本来は仏塔のことです。

インドのストゥーパ。


「卒塔婆」「塔婆」と言うと、お墓にある細長い木の板を思い浮かべる人が多いでしょう(浄土真宗では用いません)。この起源は、仏教とは別のようです。

 宗教民俗学者の故・五来重氏(大谷大学名誉教授) は、お墓の塔婆の起源は、木を切って依代(神や魂がよりつくもの) にしたものだと推定します。始めは木を切っただけの棒状でしたが、やがて板状に加工するようになりました。仏教式の葬儀や供養が広まると、その板を仏塔に模した形状にするようになったので、「卒塔婆」と呼ばれるようになったと述べます。

 さらに五来氏は、亡き人を「ほとけ」と呼ぶ場合があるので、「ほとけの遺体を納めたしるし」の意味で、お釈迦さまのストゥーパに倣ならって卒塔婆と言うようになった可能性を指摘します。

 当初の塔婆は木製でしたが、耐久性を持たせるため、石で作られたものが現れました。これが、現在の墓石の原形です。そのため、墓石を「石塔婆」「石塔」と呼ぶことがあります。

卒塔婆の語源は「ストゥーパ」という可能性も。

ブッダの弟子にも問題児はいた! 

 お墓参りの時、食べ物をお供えすることがよくあります。この習慣は、古代のインドにもありました。

 このような話が伝わっています。お釈迦さまの時代のことです。修行僧は、食べ物を托鉢(人々からの寄付) で手に入れていました。ところがある僧侶は、「私は托鉢に頼りません」と言って、墓地に住み、お墓に供えられた食べ物を食べて暮らしていました。

 すると町の人々の間で、「修行僧はみんな托鉢するのに、あの人は托鉢をしない。それでいて、やせる様子がない。あの人は墓地に住んでいる。ということは、あの人は死体の肉を食べているのでは!?」という噂が立ちました。

 これを知ったお釈迦さまは、このような噂が立つようでは困るということで、これ以降、食べ物は人から受け取るように定められました。自然に生えている木の実などを取ることもやめるようになりました。

 この話は、古代のインドでもお墓に食べ物を供える習慣があったことを示しています。

 ここで紹介した話は、戒律の文献にあります。

 仏教の戒律は、「これをしなさい」「あれをしてはいけません」と言うだけでなく、その規定が定められる原因になった話が記されています。それらの話は、お釈迦さまの教団で起こったトラブルです。

 お釈迦さまは、教団でトラブルが起こるとその都度「今後、同じようなことが起こったら、このように扱います」という形で戒律を定めていきました。

 ですから戒律を読めば、お釈迦さまの教団でどんなトラブルがあったかを知ることができます。「お釈迦さまの直弟子は、みんな立派な方だった」と思われるかも知れませんが、トラブルの種になる人もいたということです。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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