見出し画像

あの水戸光圀が見つけた親鸞さまの幻の像【第7回】衆宝山 無量光院 浄光寺(茨城県ひたちなか市)

来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、関東の地に残された宗祖・親鸞聖人の由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。

 現地ルポ

 梅雨が明けた7月下旬、入道雲をかき分けて、私たちは観光地としても知られる茨城県の那湊漁港から、小高い丘を登ったところにある館山の地を訪れました。館山には浄土真宗本願寺派の寺院が7カ寺集まり、その北側に親鸞聖人の直弟子・二十四輩の21番、唯仏が開基の浄光寺があります。

 ご旧跡紹介

 寺伝によると、常陸国吉田枝川(現在のひたちなか市)に居を構えていた藤原隼人佑頼貞が、稲田草庵(笠間市)で深く親鸞聖人の教化を受け、他力本願の不思議を味わい、貞応元(1222)年、剃髪して唯仏房浄光と法名を賜った。
 そのとき聖人より、源信和尚筆の阿弥陀如来像、聖人直筆の九字名号(※1)、十字名号(※2)を授けられて枝川村に建立した吉田御坊が浄光寺の起こり。天正十九(1591)年、浄土真宗に帰依していた大名・佐竹義宣により、水戸城内に堂宇を移し、後の元禄九(1696)年には水戸光圀に湊村古館(現在の館山)に寺領などを寄進され、水戸藩各地にあった6カ寺とともに、現在地に移転した。中でも浄光寺は当時、水戸藩第一の巨刹にして関東別院とも称されたという。
※1 九字名号……「南無不可思議光如来」で、南無阿弥陀仏の別号。
※2 十字名号……「帰命尽十方無碍光如来」で、同じく南無阿弥陀仏の別号。

伝説「鍋かぶり如来」

 浄光寺が水戸城内にあった頃、佐竹家伝来の宝物「波切の宝剣」を浄光寺に隠した疑いで、住職唯空が訴えられ、佐竹義宣は唯空を焼鍋の拷問に処した。しかし頭から熱火の鍋をかぶせられても、唯空房の姿は変わりなく、念仏の声も高らか。その頃浄光寺境内では、本尊の阿弥陀如来の頭が赤く焼けただれ、一面に黒煙が立ちこめていた。これを「唯空の身代わり」と気づいた義宣公は拷問をやめさせたという。

埋められていた聖人像

 親鸞聖人がご自身で彫ったといわれる聖人像は、元は鹿島神宮に安置されていた。しかしその後、神社に僧侶像を安置することを嫌った神職により地中に埋められた。埋めたところからは毎夜光が放たれ、人々は怖れて寄りつかなくなったといい、このことを聞いた水戸光圀が、浄光寺門徒に調べさせたところ、親鸞聖人の木像が発見され、今も安置されている。

旅ある記

星 以前から藤本さんに「隣のお寺がご旧跡」とは伺っていましたが、まさか本当にお隣さんとは。
藤 タイトル通り、歩いてきました。
星 浄光寺開基800年の年にお参りできて良かったです。
藤 ここはお墓も見どころで、織田信長と戦った雑賀孫市の家のお墓が山門近くにあるんですけど、遠くからいらっしゃる歴史ファンも多いですよ。
星 水戸徳川家ゆかりのお墓とそれにまつわる寺伝もありますね。
藤 それで言うと、お寺のご紋が葵のご紋というのも歴史的に面白いですよね。
星 他にも浄光寺の伝承は数多く、なかなか誌面では紹介しきれませんが、「海が見える丘」を訪れるだけでも価値があると言えるでしょうね。
藤 本当にいいところですよ。
星 説得力が違いますね。
(藤本真教・星顕雄)

公共交通機関でレッツアクセス!

〒311-1245 茨城県ひたちなか市館山9015 電話・FAX 029-262-2824
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・170円)→上野→(JR常磐線特急・3890円)→勝田→(ひたちなか海浜鉄道湊線・阿字ヶ浦行き・350円)→那珂湊→(徒歩10分)→浄光寺※参拝には事前連絡が必要(はがき等で代表者の氏名・連絡先・参拝希望日時・人数・説明希望の有無を記入し寺院宛にお送りください)

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

この記事が参加している募集