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江戸時代から「罰ゲーム=丸坊主」だった? 僧侶が解説! 落語が楽しくなる仏教の話【多田修の落語寺 vol.3】

【其の一】墓で酒を飲む「墓見」で出会った狐と……? 演題 安兵衛狐(やすべえぎつね)

 自他とも認める変わり者の源げん助。近所の人から萩見物に誘われましたがそれを断り、「墓見(はかみ)」に出かけます。

 お寺に着いて、ある女性のお墓の前に座り、お墓に話しかけながら酒盛りしています。ふと横を見ると塔婆(とうば)が倒れていて、人の骨がのぞいています。源助はそれに酒をかけて供養しました。

 その晩、源助の家に女性の幽霊が現れます。幽霊は源助に供養のお礼を述べ、源助と幽霊は夫婦になりました。その隣に住んでいる安兵衛が、源助のまねをしたくなって出かけます。安兵衛は狐(きつね)が捕まっているのを見かけて、逃がしてやります。その狐が人間に化けて、安兵衛と夫婦になります。やがて、妻の正体が狐だと近所の人にばれて……。

 この落語の中で、源助はお墓に話しかけていました。お墓参りは、亡き人とのコミュニケーションです。世界には、私たちが通常では認識できない領域があります。そんな領域を感じる能力は、お参りをすることで磨かれていくのでしょう。亡き人の世界を感じることは、仏さまの世界を感じることにつながります。

 狐が人を化かしたという話は多く伝えられていますが、狐は稲荷(いなり)の神の使いともされています。かつての人々は狐を単なる動物ではなく、この世と異界をつなぐ存在と見ていたのでしょう。

『安兵衛狐』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
 五代目古今亭志生(ここんていしんしょう)師匠のCD「古今亭志ん生 名演大全集19 お直し 安兵衛狐」(ポニーキャニオン)をご紹介します。志ん生師匠は落語の型を守りながらも聞き手に「天衣無縫(てんいむほう)の芸」と感じさせ、1973(昭和48)年に亡くなっていますが今でも多くのCDが販売されています。

【其の二】罰ゲームで丸坊主になった男がとった行動とは? 演題 大山詣り

 江戸のある長屋では毎年、男が全員で大山(おおやま)(神奈川県伊勢原市)に参詣します。しょっちゅうケンカが起きるので、今年は暴れた人は頭を丸坊主にすると取り決めます。

 その帰り道の宿屋で熊五郎が酔って暴れたので、一行は酔い潰れて寝ている熊五郎を丸坊主にし、翌朝まだ寝ている熊五郎を置き去りにして宿屋を発ちます。

 目が覚めた熊五郎は先回りして長屋に帰ります。そして留守番の妻を全員集め、「帰りに寄り道して海で舟遊びをしていたら転覆して、助かったのは俺おれ一人。みんなを弔うため坊主になった」と作り話をし、剃った頭を見せます。妻たちは皆その話を信じて剃髪(ていはつ)し、熊五郎と一緒に読経(どきょう)を始めます。そこに一行が帰ってきて……。

 大山には大山寺(おおやまでら)と阿夫利(あふり)神社があり、江戸から数日の距離なので、行楽を兼ねた参詣が盛んでした。江戸から大山まで複数のルートがありましたが、その一つが現在、国道246号線になっています。

 さて、僧侶が剃髪するのは古代インドからの習慣で、欲望を絶って修行に励(はげ)むという意味があります。ただし、お詫びを示すために髪を剃るのは起源が違うようです。古代中国には髪を剃る刑罰・こん刑があり、剃髪は罪人の印でした。日本ではこの二つが混ざっているのでしょう。

『大山詣り』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
 柳家小三治(やなぎやこさんじ)師匠のCD「落語名人会34柳家小三治 大山詣り/厩火事(うまやかじ)」(ソニー・ミュージックレコーズ)をご紹介します。小三治師匠はひょうひょうとしながら笑いを誘う雰囲気を感じさせ、現役の落語家で唯一の重要無形文化財保持者(人間国宝)です。

【其の三】殺生嫌いのご隠居の驚きの行動とは? 演題 後生鰻(ごしょううなぎ)


 ある隠居さんは信心深く、殺生を嫌っています。その隠居さんが鰻屋の前を通ると、主人が鰻をさばこうとしているところ。隠居さんが「それは殺生だ」と止めようとすると、主人は商売だと説明します。隠居さんはその鰻を買い取って川に放し、「いい功徳(くどく)を積んだ」。

 これが何日も続き、店はこの隠居さんのおかげでかなり稼げるようになりました。ところがある日、隠居さんが来ても店に鰻がありません。そこで主人はとっさにあるものを代わりにし、隠居さんはそれを川に放りこみます(何を放ったかは伏せますが、かなりのブラックユーモアです)。

 隠居さんの動機は「殺生から救おう」でした。それは正しいことです。でも、その結果はよい語彙ご隠居ものだったのでしょうか?

 鰻屋の主人が収入を得ようとするのは当然ですが、鰻の代わりは何でもよかったのでしょうか? この落語に限ったことではありません。ものごとが正しいかどうかを、一つの基準だけで決めるのは、ある意味簡単です。しかし、一つの「正しさ」を突き詰めようとすると、かえって大きな悪事になりやすくなります。悪を小さく収めるために必要なのは、正しさの基準を複数備えておくことなのでしょう。

 ところで、土用丑の日は「う」のつく物を食べて精をつけるのであって、鰻でなくても梅干し、瓜(スイカ、キュウリなど)、うどんなどもよいそうです。

『後生鰻』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
 五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)師匠のCD「NHK落語名人選82古今亭志ん生 稽古屋/後生鰻/らくだ/巌流島」(ポリドール)をご紹介します。志ん生師匠は「昭和の名人」の代表的な一人で、ブラックユーモアも陽気に感じさせます。

執筆:多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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