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人は理解できないものを恐れ、遠ざける。僧侶が読み解く『こちらあみ子』

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

第97回「こちらあみ子」

森井勇佑監督
2022年日本作品

 
 この映画の公式サイトにあるあらすじにはこうあります。「あみ子はちょっと風変わりな女の子。優しいお父さん、いっしょに遊んでくれるお兄ちゃん、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいるお母さん、憧れの同級生のり君、たくさんの人に見守られながら元気いっぱいに過ごしていた。だが……」

 確かにこの通りではありますが、イメージはかなり違います。全然ほのぼのしていません。重いです。覚悟してください。ただし、覚悟して観る価値は十二分にあります。

 主人公の田中あみ子は他人の気持ちを読み取ることができません。授業中に歌い出したり、好きな子へは相手のことなどお構いなしにつきまといます。幼い頃は見過ごされていたそれらの行動が、成長するにしたがって周囲の人びとから疎ましく思われ、誰もあみ子と向き合おうとしなくなってしまいます。あみ子は「理解できない変な子」というレッテルが貼られてしまったのです。家族からさえも。


 題名の「こちらあみ子」は、誕生日に親から贈られたおもちゃのトランシーバーへ発する、「応答せよ」というあみ子の呼びかけです。それに応える人はいません。

 「理解できない」のは不快で怖いです。だから人は「理解できない」ものを排除するか、目をそらします。でも、理解できないままでもそのものに関心を持ち続けると、知らずにこちらの世界が広がることもあります。「理解できない」ものへの不要な怖れもなくなります。それどころか「不可思議」の豊かさへ誘われることもあります。

 作品のラスト、呼びかけに振り向いたあみ子の笑顔に救われてください。
 
松本智量(まつもとちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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