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常に「上」と「下」を意識させる、日本社会の敬語の呪縛

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「敬語」と「タメ口」です(本記事は2023年8月の築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 実は私、ヒップホップダンスというものを習っているのです。同級生4人で始めたのですが、先生と我々だけのグループレッスンなので、どんなに下手でも「他の人に迷惑をかけているのではないか」といった気を遣わなくていいのでした。

 先生は、我々の娘世代の若い女性です。彼女の動きはキレッキレ、また身体も柔らかく、「若いってすばらしい」と、いつも思う。

 さらに先生が素敵なのは、我々に対してタメ口である、というところです。

「いいねいいねー、めっちゃ上手くなったじゃーん!」
 という感じなので、我々も友達気分でレッスンを受けることができるのでした。

 ちなみに「タメ口」とは、敬語ではない、対等な関係の人同士の言葉遣いのこと。日本人は通常、目上の人には「です」「ます」つきの敬語を使用しますが、ダンス教室においては、年下でも先生は先生。また、ヒップホップはカジュアルなカルチャーでもあることから、先生はタメ口なのでしょう。
もちろん、年下の先生からタメ口で話されても、嫌な気持ちは全くしません。むしろ若者と同じ地に立ったかのような、清々しい気分になることができるのです。

 そして私は、日々の生活が普段から「敬語の呪縛」にがんじがらめになっていることに気づくのでした。1歳でも年上の人とは、敬語で話す。立場が上の人とは、敬語で話す。……等、敬語があることによって、我々はいつも相手が「上」なのか「下」なのかについて考えざるを得ません。敬語の関係から始まったなら、よほどのことがないとタメ口の関係になることができないのが、日本社会なのです。

 WBCでの日本チームの活躍を撮ったドキュメンタリー映画を見ていたら、大谷翔平選手がチームに合流した時にまず、チームメイト達に年齢を訊いていました。大谷選手ほどの人でも、自分より年上に対しては敬語、同い年以下であればタメ口、とキッチリ区別をつけていたのです。

 英語圏でも敬語的表現はあるとはいえ、日本のように「です」「ます」的表現はなく、ほぼタメ口状態である模様。大谷選手も、WBCで久しぶりに日本人選手と行動を共にするにあたり、敬語の感覚を頑張って取り戻そうとしていたのかもしれません。

 私もたまに、敬語の無い世界が羨ましくなることがあるのでした。日本人でもフレンドリーな性格を持つ人の場合は、目上の人や初対面の人と、タメ口で話すことができます。その手の人は、最初は「失礼な」と思われるかもしれないけれど、すぐに相手との距離を詰めることができる。

 対してその手の素質を全く持っていない私は、敬語遵守派。敬語によってできる距離はいつまでも縮まりません。誰とでもすぐタメ口で話すことができる人のことをいつも羨ましく思うのであり、いつか敬語の無い世界で暮らしてみたいものよ、とも思う。

 そんなわけで、うんと年下の先生からタメ口で指導されると何だか嬉しいのですが、「とはいえ先生だしな」と思うと、つい我が子ほどの若者に、敬語で話してしまう私。

 「めっちゃ上手くなったじゃん!」と先生に言われたらいつか、
 「うれしー、ありがとー!」
 などと返してみたいものだと思います。 


酒井順子(さかい・じゅんこ)

エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『日本エッセイ小史』(講談社)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。