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親鸞聖人も巡った「下関さぬき」を辿る【第11回】佐貫草庵別伝地・佐貫観音(栃木県塩谷町)

今年3月より京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、佐貫草庵別伝地・佐貫観音(栃木県塩谷町)です。

 ご旧跡紹介

 今から100年前、立教開宗700年記念行事が浄土真宗各派で開催され、大きな賑わいを見せた。それはまさに「親鸞ブーム」の真っ最中。2年前の1921年には西本願寺の蔵から『恵信尼消息』が発見され、それに先立つ1917年には倉田百三の戯曲『出家とその弟子』が刊行され、当時の知識人の必読書となっていた。

 親鸞聖人は書物の中で、ご自身のことをほとんど語られなかった。それどころか、その存在を裏付ける歴史的一次史料すら、『恵信尼消息』の発見まで存在しなかった。このため歴史学者の間では明治から大正期にかけて「親鸞聖人は実在しなかった」という説も唱えられていた。
 
 前置きが長くなったが、親鸞聖人は配流された越後国から常陸国の笠間に向かう途中、「下野国さぬき」というところに滞在したと、聖人の曾孫にあたる本願寺第3代・覚如上人が『口伝鈔』の中で述べている。しかし発見された『恵信尼消息』の記述から、「さぬき」は今の群馬県板倉町周辺であったことがほぼ確定した。とはいえ長らく人々の間では、栃木県の佐貫こそが、親鸞聖人ご滞在の地として知られていた。

 現地ルポ

 宇都宮市からバスで北西に、または日光I・C から北東方面に進み、近づくと突如そびえる高さ64メートルの石の壁。鬼怒川にかかる佐貫観音橋を渡ってすぐ、左折するとその巨岩の下に出ます。壁面には空海が彫ったといわれる大日如来。親鸞聖人は下野国船生まで伝道にいらっしゃることがあり、その途中に宇都宮に立ち寄られたとも観專寺の寺伝では伝えられています(=1月号参照)。船生は佐貫の北西すぐ。親鸞聖人が浄土三部経を千回読誦しようとされた有名なエピソードの舞台が、たとえここではなかったとしても、ここに立ち寄られた可能性はあるはずです。

旅ある記

藤 実はここに来るにあたって調べたんですけど、関東で「さぬき」という地名は6カ所しかなくて、そのうち4カ所は越後から笠間の間にはなく、残る2カ所が群馬県の佐貫と栃木県のまさにここなんですよ。
星 さすが。覚如上人は『口伝鈔』で「下野国さぬき」と書いていらっしゃいますが、もしかしたら常陸国に多くいた門弟の間の伝承で、その辺が曖昧になったのかも知れないですね。
藤 星さん、見て! 岩壁の下に洞窟が2カ所あるけど、どっちが親鸞聖人の史跡なんだろうね。
星 案内も書いていないのでよくわかりませんね。私は向かって右と見ました(正解でした)。大きさが分かるように、藤本さん中に入ってもらえますか? では写真をパチリ。
藤 この岩肌に彫られた大日如来もどうやって彫ったの? っていうくらい大きいけど、岩肌はもろいので触らないでくださいって書いてありますね。
星 これは砂岩ですね。鬼怒川の左岸(さがん)だけにね。
藤 星さん、もしかして「ブラタモリ」を意識してます?
(藤本真教・星顕雄)

 

公共交通機関でレッツアクセス!
〒329-2442 栃木県塩谷郡塩谷町佐貫799
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・170円)→上野→( 東北新幹線指定席・4 8 1 0 円)→宇都宮→(徒歩)→宇都宮駅西口→(関東自動車・塩野室/船生行き・1050円)→佐貫観音前
※付近に駐車場あり

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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