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僧侶の役割は、言葉を伝えること。築地本願寺宗務長インタビュー

 2022年8月26日から、築地本願寺の事務方のトップに就任した中尾史峰宗務長(しゅうむちょう)。京都・西本願寺に長年勤め、「東京で働くのは初めて」だという中尾宗務長に、築地本願寺で挑戦したいことや、ご自身のプライベート、仏教やお寺、僧侶の在り方まで幅広く伺いました。

あまりにも時間が経つのが早いので「東京は23時間なんじゃないか」と思った


――築地本願寺の宗務長に就任してから1年半ほど経過しましたが、京都と東京のお寺の違いを感じられることはありますか? 

中尾 私は20代で京都・西本願寺の宗務員になってから、北海道の函館に一度だけ赴任しましたが、基本的には数十年間ずっと京都で働いてきたんです。まさか70代になってから東京で働くことになるとは思わなかったので、びっくりしました。

東京は、京都よりもとてもスピード感がある場所ですね。人も多いし、やることもたくさんある。毎日があまりにも早く過ぎ去ってしまうので、「東京の1日は24時間じゃなくて、23時間なんじゃないか?」と思ってしまうほどです(笑)。また、本願寺がある築地を中心に、文化があって刺激的な場所が多いですね。

――東京でお気に入りの場所はありますか?

中尾 築地の場外市場に出かけては、卵焼きやチャーシューを買うのはたまの楽しみです。あと、私は落語が大好きなのですが、新宿末廣亭に3回くらい観に行きました。本当はもっと行きたいんですが、忙しくてなかなか行けていませんね……。

台湾別院を訪れた際の、中尾宗務長

得意な落語の演目は「野ざらし」「反対俥(ぐるま)」

――落語がお好きなんですね。

中尾 出身自体は福岡なのですが、中学、高校時代に6年間千葉県に住んでいて、高校時代は落語研究会に入っていました。そこで、古典芸能、特に落語の魅力に取りつかれて、千葉から新宿や上野、人形町に落語を聞きに通うようになりましたね。その後、大学は龍谷大学へ通ったのですが、大学でも迷わず落語研究会に入りました。好きな落語家さんは、6代目三遊亭円生と、9代目の桂文楽、古今亭志ん朝です。いまだに趣味で寄席文字を書くこともあります。

中尾宗務長が寄席文字で書いた、築地本願寺が選ぶ今年の漢字「遇」

――十八番の演目があれば教えてください。

中尾 最初に覚えたのは、有名な演目である「寿限無」ですね。普通にやったら30分以上かかる話なのですが、2、3分の短いバージョンを覚えました。「寿限無」は、生まれてきた子どもに縁起の良い長い名前をつけたいという親に頼まれて、住職がつけた縁起の良い名前を親が全部名前に盛り込んでしまい、とんでもなく長い名前になる……という笑い話です。

ちなみに、あの話は、お寺の住職が生まれてきた子どもの名前を付けるという当時の慣習から生まれたもの。このように落語は仏教にちなんだ演目が多いのも面白いところですよね。そのほか、お骨が女性に化ける「野ざらし」や遅刻しそうで人力車に乗ったらおかしな人力車ばかりに遭遇してしまう「反対俥」などの演目が好きです。

住職だった叔父にすすめられて、僧侶の道へ

――僧侶になる方は、お寺出身者の方が多いと聞きますが、中尾宗務長のご実家も、お寺だったのでしょうか?

中尾 おっしゃるとおり、一般的な僧侶は、お寺出身の人が多いのですが、私はちょっとイレギュラーな人生を歩んできたと思います。私の母の実家が島根県のお寺だったので、ご縁がないわけではないのですが、母自身は小学校の教員をしていたので、私自身はまったくの一般家庭で育ちました。

―― 一般家庭に育つなか、僧侶をめざしたきっかけは?

中尾 住職だった叔父にすすめられたのがきっかけです。大学はどこへ行こうか考えていたら、「龍谷大学に行ったらどうか」と言われたんですね。また、その叔父がとても面倒見の良い人で。私自身が進路に悩んでいたら「本願寺に勤めたらどうだ」と、またもやアドバイスをくれたんですね。そこから、気が付いたら何十年も本願寺にお世話になっている状態です。まさにご縁ですね。

松下幸之助氏(右)と中尾宗務長(左)

できるなら、参拝者の方全員と握手がしたい


――築地本願寺の代表である宗務長という役職に就任して、築地で挑戦したいことはありますか?

中尾 まず、築地本願寺には前任の安永雄玄前宗務長が残したたくさんのプロジェクトがあるので、それらをしっかり進めていきたいですね。その一方で、できるだけ実現したいと思っているのが、参拝者の方全員と握手をすることです。

――握手……ですか? 

中尾 コロナがあった3年近くは、不用意な握手などが敬遠されていた時期でした。以前だったら当たり前のようにできたことができなくなる。そんな、とてもハードな期間だったと思います。もちろんハラスメント的な部分は、注意しなければなりませんが、せっかくお寺に来てくださった参拝者の方とは、リアルだからこそ感じられるぬくもりのある交流をしていきたいんですね。

この想いは、八代目の蓮如上人がおっしゃった「平座の実践」にもつながります。「平座の実践」とは、僧侶や門信徒が平たい床に座って、ご法義の喜びを共に語り合ったり、親鸞聖人の教えを受けたりすることに由来しています。握手は、僧侶と参拝者の方が同じ目線の高さで相対して、ぬくもりある関係を作れる行為だと感じます。だからこそ、私は積極的に握手をしたいなと思っています。

――「ぬくもりある関係」が大事だと思われる理由はなんですか?

中尾 昨今は、できるだけクレームが来ないように、マニュアル的な対応をする機会が増えていると思います。マニュアルもミスを防ぐという点では悪くないのでしょうが、私たちのようなお寺の場合は、やはり紋切り型の対応だけでは、参拝者の方々の想いに応えきれない部分もあります。画一的な対応から外れた先に、喜んでもらえることもあるのかなと思います。たとえば、よく知っている参拝者さんだったら、ポンと肩をたたいて「お元気でしたか?」と声をかけるとか。そうしたぬくもりあるお付き合いを、大切にしていきたいです。

誰かにとっての「特別な場所」でありたい


――昨今は宗教離れも進んでいると言われますが、現代において、お寺とはどんな存在だと思われますか?

中尾 みなさんにとって、日々の日常とは少し違う、特別な場所であると嬉しいですよね。先日、うれしかったのが、本願寺の近くにある病院に行って、看護師さんと雑談していたら「ここから本願寺さんが見えると、いつも手を合わせています」とおっしゃってくれて。この方にとって、お寺は特別な場所なんだなと感じられて、ありがたかったです。

もし、お寺が少しでも特別な場所になってくれたなら、何かご本人に辛いことがあったときなどにもお寺の存在を思い出してもらえますよね。そこで、少しでもお寺という存在が助けになれればなと思っています。

――さらに今は、将来に対して不安を持つ方も増えていると思います。そんな人に対して、何か一言お願いします。

中尾 親鸞聖人も「人間思い詰めたときは何をするかわからない」とおっしゃっています。でも、「そうだよね、人間とはわからない生き物だよね」と終わってしまうわけにはいきませんよね。もし、ご自身が辛いと思ったとき、「決して一人じゃない」ということを忘れないでほしいです。もちろん、自分が一人じゃないということを頭では理解できても、それがご自身の問題の解決にはつながらないと思います。ただ、「一人じゃない」と思うだけでも、少しだけでも心が軽くなるはずです。

また、どうしても不安があるときは、ぜひ僧侶に相談してみてください。築地本願寺では本堂の「僧侶相談」をはじめ、さまざまな無料の相談窓口も設けています。解決には至らなくても、それらを通じて、自分の悩みを他人に伝えるだけで、心は大分軽くなります。そして、そのお手伝いをすることこそ、僧侶の役割だなと思っています。

悩んでいる人に言葉をかけるのが、僧侶の役割


――悩みを聞くことが、僧侶の役割だということでしょうか?

中尾 悩みを聞くのももちろんですが、仮に相手が辛い状況にいて、普通の人にとっては言葉をかけづらい状況でも、なんらかの言葉を発するのが、私たちの役割かなと思います。代表的な例といえば、臨終を目の前にした人が何か言葉を欲しがっていたときなど、その方の心が救われるような言葉を何かしらお伝えするのが僧侶の役割のひとつです。

ただ、その場で「どんな言葉が必要か」を考えていたのではダメですよね。だから、日頃から、私たち僧侶は「こんな場にある人にとって、力になる言葉は何か」をきちんと言葉で考えて備えておかなければならない。まだまだ努力が足りない部分はあると思いますが、どんな状況に置かれた人であっても、なんらかの救いが感じられるような言葉をお伝えできるように、日々心掛けています。

私自身、日頃からできるだけ境内を歩きまわって、参拝客の方にお声がけするようにもしています。築地本願寺にいる私を見かけたら、何か悩みをお持ちの方はぜひ一声かけていただきたいです。

■中尾史峰宗務長 プロフィール
1951年生まれ。 1976年龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻卒業。 1977年宗務所入所。その後、1996年に総合企画室部長、2003年に法制部長 、 総局公室次長、2008年に函館別院輪番・江差別院輪番 、2010年に総局公室長 、 2012年に統合企画室長、2016年に本願寺執行(しゅぎょう)を経て2022年に 築地寺本願寺宗務長に就任。現在に至る。



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