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【夜のパーティー編】ビーチ・ズーク・ランバダ ・フェスティバル

※「ビーチ・ズーク・ランバダ ・フェスティバル」は、スペイン・バルセロナ近郊で行われる、国際的なランバダ・ズークのフェスティバル。ズークは「踊るヨガ」とも言われる、カリブ諸島、ブラジルを中心に発展したペアダンスで、先にランバダズーク、その後にブラジリアン(リオ)ズークが出来た。今は2種類とも、ヨーロッパを中心に様々な世代に人気を博している。これは、完全な趣味でこのダンスを細々と楽しんでいる、フォロワー女性視点で書かれている。

※2 リーダー=踊りをリードする人。主に男性が多い。
※3 フォロワー=リーダーの踊りについて行く(フォローする)人。主に女性が多い。

ここまでの流れ

この2つの記事で書いた通り、あまりに無知で動物的すぎる性格が原因で、ランバダ・ズークは1回の対面レッスン、2回のオンラインレッスンを受けただけでーそう、もはや習い始めてばかりでースペインのズークフェスティバルに参加した、私。

そんな状態でも【レッスン編】で書いた通り、ヨーロッパ、北米、南米各地で活躍している先生達やコンペティションの勝者といった豪華メンバーに、楽しく踊ったりアドバイスをしてもらいながら、これまた人間技を越えた踊りをするインストラクター達から楽しくレッスンを受けることが出来た。レッスン参加率は、なんと皆勤!
入門者ということで、一コマでも欠席している暇はなかった。

レッスンでは始めたばかりでも、周りにも嫌な顔一つされず、それ所かたくさん実験台?!や練習台にしてもらえ、すごくたくさんのことを受け取れることが分かった(優しすぎるメンバーと、教え上手なインストラクターに、大感謝だ)。

さて、パーティーは「始めたばかり」の状態でも通用するのか。
パーティーの内容に加え、その辺りも残しておきたいと思う。

開始時間

フェスティバル中のパーティーは、カルガキゾンバフェスティバル同様、真夜中と夕方に行われた。
この記事では、夜のパーティーについて触れたい。

カルガキゾンバフェスティバルのように、さすが日が変わって始めるということはなかったけれど、こちらズークフェスティバルでも、開始時間は、23時……。

やはり、ダンスの種類が変わっても情熱の国ー夜に強い国、スペインは変わらない!

初日は、パーティーパス(パーティーだけ参加する人達の3日間チケット)のお会計などもあり、会場で人がだんだんと踊り出したのは、約45分遅れの23:45位。

23時から踊る気満々で会場に到着した私は、同じように到着して暇を持て余していたベルギー男子、ルーマニア女子、イスラエルグループと仲良くなり、音楽が鳴り響いているプールサイドで先に踊りを楽しんでいた(そこはズークではなく、サルサなどだったけれど)。

パーティー会場は音楽が鳴り響きすぎてなかなかゆったり会話が楽しめないから、この時間に色々な国の人と話せたのは貴重な時間になった。
どんな待ち時間も無駄にはならない所も、フェスティバルの良い所だろう。

豪華で盛りだくさんな、パーティーのプログラム

このフェスティバルのレッスンがとても充実していたことは前記事で書き切ったが、なんと、パーティーも相当豪華な内容だった。

まず、パーティー開始の23時(実際には、2、3日目も23:30前位からだったようだが)からしばらく、自由に踊る時間がある。
インスラクターは来たるショーに向けて準備をしているから、ここはほぼ、参加者達で楽しむ時間になる。
とは言っても参加者には、ランバダ・ズークの立役者や後継者、各国からのゲストダンサーも含まれているから、この時間も決して無駄には出来ない。

そして来たる0時半頃、
「今からショータイム!」
というようなアナウンスが入り、私達は椅子が並べられているエリアへと移動する。
その後は、1時間位だろうか。
贅沢すぎるショータイムを楽しむことが出来る。

一日につき5組位のインストラクターペア、もしくは彼らが連れて来たグループが披露するパフォーマンスは、もはや基本的なステップは含まれておらず、中国雑技団やフィギュアスケーターのペアでも失敗するんじゃ……?と思う程、スリリングな組み立て技だったり、人間と思えない程の速さの連続ターンなど、「これが“プロ“なのか……!」という異常な難易度で、それが目の前で繰り広げられる。難易度よりもストーリー性を重視したペアやグループのパフォーマンスも、これまた魅惑的で心に深く残る内容だ。

ブラジル、アルゼンチン、ヨーロッパ、アメリカで、6歳位からずっとダンスをしているインストラクターも多いという。
大人になってズークをはじめ、先生をしている参加者の人達も十分凄いと思うけれど、ずっと踊りにこだわり続け育って来た、その気迫が、きらびやかな服に負けない異次元のパフォーマンスからよく伝わって来た。

「これ、追加料金払わなくていいのかな?」
そう思ってしまう程、このパフォーマンスタイムはパーティーの中でも絶対に見て、参加した方がいいものだと思う。

その後は椅子が設置されていた場所もパーティースペースになり、広い会場で6時まで、ひたすら踊り明かすのが基本のようだ。

その中で写真撮影ブースが設けられ、セレブ風に写真を楽しんだり、一人の動きを真似て皆でコレオチャレンジ風にダンスをしたり(“サファー“だったか忘れてしまったが、名称があるらしい)、主催者のJaviとLauraを囲んでみんなで波を作って踊ったり、DJやバンドが大々的に紹介され、一曲大音量でその音楽を感じて踊ったり……。

踊るだけではなくて色々な趣向も凝らされている所に、主催者のJavi&Laura、そしてそのお姉さんや仲間達の、このフェティバルへの限りない愛を感じた。

キゾンバに続く朗報・日本人もアジア人も大人気

キゾンバのパーティーでは、様々な世代、国籍の人から誘われ、長く踊られる程、日本人は人気で踊り明かせたことを、この記事で書いた通りだ。

さて、ズークでも同じことを、日本を代表するA先生から教えてもらい、励ましてもらっていた。
「アジア人はあまり踊ってもらえない場合もあるかもしれないけれど、めげずに楽しんでね!」

私は、
「踊られなかったら、“ゾーンに入って踊り明かす“やりたいリストが達成されないし、なんとか状況が変わってるといいなぁ……」
と思った。

その願いが通じたのか、結果、リーダー達はびっくりする程たくさん踊ってくれた。

キゾンバ同様、時は2020年を超えよりグローバル化が進んだのか、コロナを経て価値観が変わったのか、日本人も韓国人もダンス会場にいる間、色んなダンサーから誘いを受けた。

「見かけが違うから、踊るの心配だな」
から
「見かけが違うから、知ってみたい」
という時代に、どのダンスも変わって来たのだろう。
素晴らしい変化を、手放しで喜びたい!

キゾンバと違いシニア世代には、さすがにズークは厳しいようだったが、それでも20代から60代位までと年齢の幅は広く、国籍もスペイン、フランス、スイス、ポーランド、イギリスをはじめとしたヨーロッパの人々、イスラエルをはじめ、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンの人まで幅広かった。

始めたての私相手でも、最短でも一曲は楽しく踊ってくれる人ばかりで、スイス、イスラエルのダンサーをはじめ、3曲以上とても気持ちよく踊ってくれた人もいた。
「始めたてでも、相手が先生レベルだとこんなに踊り明かせちゃうものなの……?!」
と、ここでもレッスンの感動が再発してしまった。

他の日本人、韓国人はダンサーとして既に活躍している人ばかりで、彼らもいつも誰かと踊っているのが視界に入って来た。
アジア人同士で踊るのも、曲と曲の間でキムチやタッカルビの愛について話したり出来て、これまたいい交流になった。

ズークもキゾンバも、日本人、そしてアジア人は、例え入門者でも踊りたいと思われる存在になっていることが、このフェスティバルでよく分かった。
これからは誰でもより安心して、ヨーロッパや海外のパーティーに行けそうだ!

比率はほぼランバダ・ズークの中の、嬉しい出会い

さて、レッスンは90%以上がランバダ・スタイルだったけれど、パーティーはどうだったか……?
レッスンの流れからか、ほぼランバダ・ズークのオンパレードだった。
「このまま、一年やったブラジリアン・ズークは、踊れず帰国しちゃうのかな?」
そう思っていた所、2日目にたまたま誘いを受けたイギリスのダンサーが、ブラジリアン・ズークのリズムで踊り出したのだ。

曲は変わらずテンポの良いものだったが、色々な所で意識的に間を取っていたから、
「ウソ……やっと、ついにブラジリアン・ズークも踊れる!」
と気持ちが舞い上がった。

陽気なランバダ・スタイルですっかりテンションが上がっていたが、イギリスダンサーの取る間やゆったりしてヘッドムーブメントに、一年かけて知ったブラジリアン・ズークの癒しの魔力を思い出した。

私もその間やスローな動きに応えると、その広い会場の中、ダンサーは私が大好きなカウンターバランスを展開してくれた。
これはまるで「人間コーヒーカップ」のようなもので、2人でバランスを取って何回転ものターンをするのだが、このダンサーのカウンターバランスが、メリーゴーランドとコーヒーカップの真ん中のような、絶妙に気持ちの良いものだった……。

心は伝染するものなのか。
30分位、私達は無になって踊った。
アップテンポの曲をあえてリズムを外して踊ってみるのも面白かったし、朝からずっとランバダズークに囲まれた後、久しぶりにブラジリアン・ズークを踊った時、なぜか懐かしささえ覚えた。

私達は出身国や、私がブラジリアン・ズークが習って来ただけど、手違いでランバダズークフェスティバルにたどり着いたこと、彼も、主はブラジリアンズークだけれど、ランバダスタイルも慣れたくてパーティーだけ参加していることなど、大きな音量にも負けず話した。

翌日もこのダンサーは私を覚えて見つけてくれ、同じように何曲も離さず踊り明かして喜ばせてくれた後、こう言ってくれた。
「こうして連日踊れて嬉しかったよ。君との踊りは、このフェスティバルのパーティーで一番印象深くベストなものになったよ。また踊りたいけど、混み過ぎてて万が一会えなかった時のために、伝えておく……」

たまたまブラジリアンズークを踊るダンサーがほとんどいなかったということがもちろんあると思うけれど、一年間楽しく取り組んだブラジリアン・ズークで、こんな風に上手なイギリス人ダンサーに喜んでもらえ、こんな風に言ってもらえて、私は本当に嬉しかった。その後も他のダンサーと踊りながらも、しばらくはこの余韻に浸ってしまっていたかもしれない。

他にも本当にまれに、ブラジリアン・ズークを踊るダンサーがいてくれたから、時々でも、「ブラジリアンズークを一年やった記念」を発揮できたことに感謝した。
どのブラジリアン・ズークダンサーも、ブラジリアン・ズークも少しは踊りたい人達だったようで、一旦組み始めたら一人につき30分位踊り続けられて、嬉しい充実感だった。

入門者は“怖いもの知らず“で幸運続き?!

マエストロ・Gilson や、後継者・Emanoelとのサプライズを【レッスン編】で書いたが、誰が何者かを知らないことは、時に素晴らしい幸運に繋がることをパーティーでも知った。

日本から参加していたランバズークダンサー、Aさんは、とてもエレガントな踊りをする一方で、イベントの開催でもすごい実績を誇り(本人はあまり声を大に言わないけれど、そういう所を含めてとても凄い人だと思う)、これまでに召集した有名インストラクター達やダンサー達とも何度も、スペイン語やポルトガル語(?!)で再会のハグを交わしていた。

「かっこいいなぁ……!」
そうやって隣で見つめていると、その相手の中には私をレッスン会場で見て、覚えてくれている人もいた。

「君、さっきレッスンにいたね!また会えて嬉しいよ!」
実の所、ヨーロッパ人も南米人も見かけが似ているから、どの人が誰だったか覚えられていない人もいたけれど、誰ですかとは言えないから、感謝の言葉を口にする。
「私も嬉しいです!レッスン、楽しかったですね」
「夜のパーティーは、来るの?」
「行きます。ぜひ踊って下さい!」

そんな感じで、Aさんが再会のハグをした一人、インストラクターのPauloと軽く、「踊ろう」なんて話せただけでも、嬉しかった。
後からAさんに何者かを教えてもらい、恐れおののいてしまうことは、レッスン以外でもこのように何度も起きた。
レッスン編で書いた通り、マエストロ・Gilsonにもレッスン時に軽く「踊ってほしいです」なんて言っていて、自分は何も知らなさすぎることを反省した。
「さっきの人も有名人だったし、GilsonもPauloも踊ってもらうなんて、まあ無理だよな〜」
と無知な私でもさすがに思っていた。

しかし。
彼らは2人とも、誠実かつ有言実行者だった。

上に書いた感動的なパフォーマンスの後、体温が上昇して踊りたい気分で身体中が溢れ、音楽に揺れ出していた時、たまたまパフォーマンスのペア達を激励しに行くGilsonと、これからまさに踊り始めるPauloと目が合ったのだ。

「Hi!パーティーで本当に会えて、嬉しいです!」
「Hi!約束通り、踊ろうね。ちょっとだけ激励に行って、この場所に戻って来るよ(Gilson)」
「Hi!この女性と踊った後、一緒に踊ろう(Paulo)」

本当に…??本当に……??
テンションが、ますます上がっていることを肌で感じる。

Pauloと踊っている女性は、確かイスラエルグループの素晴らしいダンサーだ。
2人の踊りに見惚れていたらあっという間に2曲位が終わり、Pauloは彼女と深いハグをしてから、こちらに本当にやって来た。

その時、誰か女性がPauloの前に飛び込んで行った。
キゾンバでも書いた、並んで順番を待つのではなく、飛び込んで行くタイプの「インストラクター争奪戦」が、このズークフェスティバルでも起きていたようだ。

上手な女性と踊りたいだろうに、
「彼女と約束しているから」
などとPauloが飛び込んで来た女性に説明をして、誠実に私の所に来てくれた、その時。

急に、後ろから身体がふわりと持ち上がった。
私はお姫様抱っこをされ、どこかに連れさらわれてしまった。
「ど……どうなってるの?!」
優しく身体を降ろされ、踊り始めたと思うと、身体を持ち上げた主はなんとGilsonだった。

「G…Gilson先生……!いつの間に?」
「約束したじゃない!同じ場所に戻って来るって」

ドラマティックなさらい方にも、有言実行な所にも、感動してしまった。
風が、自分達(というかGilsonのリード)からわき起きる。
身体がびっくりする程軽くなって、いとも楽しげに、キレキレに動くのだ。
そしてその後も再び、私はいつの間にかスーパーリードにより、宙に浮いていた……。
「楽しかった?」
「楽しいを越して、もはや魔法のようなダンスでした!」

Gilsonが元の場所に戻してくれると、飛び込んで来た女性とひとまず踊っていたPauloも、誠実に約束通り、その後私と踊ってくれたのだった。

スピード感とパワフルな感じがたまらなく、もはや笑顔が止まない。
「太陽の国・スペイン」を、スペイン人のPauloは全身で表現してくれているようだった。
この陽気で勢いのあるPauloとのズークも、感動的で忘れられない思い出になった。

強烈な光に、もはや自分を越え、忘れる

誠実な人は、本当にたくさんいた。
2日の午後以降は互いの距離が近まり、ホテルのロビーで出会ったら、手を振られたりハグをされたりする。
そんな人には、嬉しかったから
「また後でね!パーティーで踊ろう!」
と言うこともあったけれど、すると彼らは本当に誠実に私を見つけて踊ってくれたのだ。
こんな誠実なジェントルマンばかりが揃えば、世界は本当に平和になるだろうに……とひしひしと思った。

気軽に「踊ろう!」と言った人の中には、Josephという、イギリスの名ダンサーも含まれていたようだ。
軽い約束をして彼がエレベーターに乗って行った後、Aさんに
「タンツさん、勇気ある!今の人、ランバダ・ズークのかなり重鎮だよ!踊ろう、なんて言えるの、凄いわ!」
「え……そうだったの……?またやってしまった〜」
「でもそれ位の気軽さを、彼らも求めてるのかも。いつも崇められてばっかりで、疲れてるかもしれないしね。踊れるといいね!」

そしてその夜、彼Josephにパーフォーマンスの後、本当に会えたのだ。
「本当に、また会えましたね!(心の中では、とりあえず敬語に変更)」
「もちろん!ただ、この曲は僕のタイプじゃないから、次の曲まで待たせてね」
名ダンサーは踊る曲にもこだわりがあるようで、どんな踊りになるのか、既にぞくぞくして来た。

次にかかった音楽は、びっくりする程ハイテンポなものだった。
Josephはサッと私の腕を組んで
「この曲はいいね。行こう」
とDJブースの真ん中、つまり会場のど真ん中へと進んだ。

サルサの超ハイテンポな音楽と、それは少し似ていた。
どこまでも陽気で、どれだけ落ち込んでいる人すら笑顔になれるような、そんな太陽をいっぱい浴びたような曲で、Josephはものすごい情熱をかけて踊り始めた。
私はいきなり、Josephというまぶしい太陽に全身を照らされているような輝きを放ち、無我夢中で踊り明かした。

ここ数日で覚えたばっかりのステップなのに、それはフォロー出来た。
どれだけそれが、異常な早さでも……。
ステップの間に、2回転所か3回転ものターンがエネルギッシュに入れられた。
なぜか、回れてしまった。神のリードに合わせて。
たくさんの風が、自分達から(というか、Josephのリードによって)巻き起こった。
バンド演奏が、まるで自分達だけのためになされているような気分になる。

私はイギリス?ブラジル?スペイン?の女王ダンサーになった気分になって、知らない世界を旅しているようだった。
もはやそれは、自分の身体ではないようだった。
自分は何者か。どうやって踊っているのか。何をしているのか。
もはや自分という存在が一旦忘れられ、いつもの自分よりもずっとずっと突き抜けた所に、魂や身体だけが昇華したような感覚だった。

この日本から来た何も知らない入門者に、それだけ魂を込めて踊ってくれたJosephにも、感動と感謝が尽きなかった。

太陽からの恵みを受けたような曲が、パーティーでは本当にたくさんかかっていた。
平和とか、楽しみしか感じられないような世界からは、憎しみ、暗闇、悲しみが一切忘れ去られたように思う。
そんな中で、いつもの自分をはるかに越え、もはやいつもの自分をも忘れ、ただただ踊り明かした……。

こんな経験を、できるだけ世界中全てのダンサーが経験出来たらいいのに、と思った。
入門者の私をもこれだけ感動させられた、この「ビーチ・ズーク・ランバダ ・フェスティバル」のパーティーでは、誰もがまばゆい程の光に照らされ、異常なまでの経験が出来ること、間違いないだろう。

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