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モネ〜連作の情景〜

私を絵画の世界に導いてくれた画家の一人、モネの生涯を写し出した展覧会。
半年前位から、大切な人ととても楽しみにしていた。
今回の展覧会では連作も多く見られる。一人でじっくり連作の違いを見比べるのももちろん面白いが、大切な人や友人などと、意見を交わしながら見るのも、別の見方を知れて二度面白いのではないかと思う。

モネといえば「睡蓮の庭」や「連作」が有名だが、そこに至るまでのモネの足跡を作品と辿ることで、より連作と晩年、特に最晩年の「睡蓮の庭」が気持ちを入れて見れたように思う。
各作品への印象を忘れない内に、書き残しておこうと思う。

1章 印象派以前のモネ

この時代のモネは、意外と知られていなかったりする。
『サロン』と呼ばれる、フランスで一番権威のある、いわばコンテストのようなものに入選できるかが、その画家の一生を左右する時代だった。一昔前の、学歴社会と似ているかもしれない。

まだ浪費家になれるほどの経済状況でもなく、サロン入選に何度も挑戦し、入選できることもあれば、少し王道のルール?!をそれると落選したという、モネ。
そんな時代から、彼の目指していたテーマは、既に少しずつ姿を現していた。

『ルーブル河岸』

カミーユとの新婚時代、フランスパリで描いたこの作品では、ボンヌフ橋が描かれている。万国博覧会中だったということもあり、とても生き生きした雰囲気で、季節は春だろうか。
私が春に訪れた時に見たボン・ヌフ橋の色彩とも、それは似ていた。

『ザーンダムの港』

オランダのアムステルダムから近い町、ザーンダムで描かれたこの絵画の美しさに、一気に引き込まれた。
水面に映る雲は、今度のモネの目指す世界「光」や「反射」を予言しているかのようだ。夕方、風に気持ち良さそうに揺れるポールは、貧しいながらも健康で開放的な若きモネを表現しているかのようで、希望を感じさせる。

人だかりが出来ていた『昼食』は、もちろんたくさんの計算が込められているようで素晴らしいタッチだが、なぜだろう。柔らかいタッチや子供の嬉しそうな表情は印象に残るものの、『ザーンダムの港』に、私はより魅了された。

2章 印象家の画家、モネ

サロン落選が続いたモネたち有望な画家は、サロンに見切りをつけ、自分達で「印象派」というグループを作り、それは第8回まで続いた。
私の中で画家はダンサーよりも個性が強く、人間離れしているイメージだ。
ピカソとゴーギャンのように、仲良くできるのは数年なのかと思いきや、印象派の画家達は長年良い絆を保ち続けたという。
何が違っていたのだろう。個々の性格もあるのかもしれない。

そんな「印象派」として自立した活動をスタートして行った頃の作品が、飾られていた。

『花咲く林檎(りんご)の樹』

晴れ渡った青空が、私達の気分を明るくしてくれる。ここは大都会だというのに、その絵を見ていると、まるで森に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
木の葉一枚一枚が、それぞれとても生き生きと存在感を放っている。

『アトリエ舟』

何度も描かれている、この題材。
カミーユと、この舟の上で乾杯したりうたた寝したりしていたのだろう。

川の舟の上での、この上なく怠慢で幸せなひと時は、年数が経ってもそう簡単には忘れられないものだ。

“モネのアトリエ舟“より、こちらの作品の方がより晴天で明るく、樹々の動きも生気がある。
色彩も晴天の光の加減かより豊かで、葉は少し黄色が強めだろうか。
似ている二作で意見が分かれそうだ。(私達も見事に分かれた)

『ヴェトゥイヌ、サン=マルタン島からの眺め』

一致して
「これはいいね!」
と声を上げた作品。

この光景を、恐らくモネは死別した妻・カミーユとも見て、そして新妻・アリスとも見たのだろう。
私は当時、そのモネの行動に衝撃と怒りを感じた。
ティーンエイジャーの頃は、大抵の人はパートナーには一途でいて欲しいし、自分だって一途以外考えたらいけないと思っている。
しかしモネは、妻カミーユの死を悲しみ感じながら、アリスに惹かれて行き、そしてアリスと再婚したのだ。
年代からして、これはアリスとの再婚後、描いているのだろう。

恋愛で一途でない行動をしたら、それはどこかで必ず罰せられる。必ず……。
もう罰せられたくないのなら、そんな行動はプライベートの愛において、一生してはいけない。

ただ、芸術においては……。
この絵が表現しているように、カミーユと一緒だから見えるヴェトゥイヌの眺めと、アリスと一緒だから見えるヴェトゥイユの眺めがそれぞれにあったのだろう。
情熱を感じさせるダンス、癒しを感じさせるダンス……喜びと悲しみ、甘さと辛さ……両タイプのダンサーと踊ってこそ見える景色、感じる魂があることも知った今、モネを責めることは出来ない。

アリスは恐らく、そういうモネの自由さも愛した妻だったのだろう。
対してカミーユはその美しさも影響し、結構独占欲もあったのではと思う。
同じヴェトゥイユ、同じ構図なのに、モデルの描き方や光の当て方が、この時期に変化を見せている。

この作品はまだ30代末から40歳の作品ながら、情熱や勢いよりも、既に穏やかな光を感じさせた。

3章 テーマへの集中

楽しみにしていた、たくさんの海辺での作品。
モネゆかりの地といえば、ジヴェルニーにばかりこだわっていた学生時代の自分が、恥ずかしくなる。
次にフランス紀行をする時は、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、プールヴィル、ヴァランジュヴィル、エトルタ、べリールなど、行けていないモネゆかりの地を全て周りたい!

「また欲張り癖が出て来たね」
と隣の人に笑われたが、それだけこの3章の部屋でも魅力的な絵と出会えた。

『プールヴィルの崖、朝』

1882年(40代)と1897年(50代)に数回挑戦している、「プールヴィルの崖」の絵。自身にとって大切な作品は、確かに年数が経ってからまた挑戦したくなるものだ。
このためには、感性だけでなく技術も維持している必要がある。
それが50代になってからもできていた画家であり芸術家のモネには、頭が下がる。

4点飾られていたこの崖の作品だが、私はパステルカラーで描かれ、ピンクの朝の大地にそびえる崖が、本来は雄々しいはずなのに美しく感じる本作品が素敵だと思った。
隣の人は即答で、荒々しい「波立つプールヴィルの海」に一票を投じ、人の好みとは面白い。

『ヴァランジュヴィルの漁師小屋』

プールヴィルの近くにあるヴァランジュヴィルを舞台にした作品も、数点飾られていた。
高台から眺める海が穏やかで、私達の心をも穏やかにしてくれる作品だ。
空と海との一体感も味わえた。

『エトルタのラ・マンポルト』

43歳と46歳に描いているが、46歳の時の作品の方が穏やかさが増している。
良いことが続いていたのか、年齢的なものだったのか……?!

4章 連作の画家 モネ

“テーマへの集中“が、月日を経てやがて“連作“へと発展していく。
これが「唯一無二の画家になる」ということなんだと思う。
ドガも“踊り子の画家“と代名詞がついているように、モネの代名詞にも、“睡蓮“や“連作“がある。
唯一無二の芸術家になれるかどうか。
それは、日々そのかけらを探せているか、発見できているかに寄るのかもし

『ポール=ドモワの洞窟』

鮮やかな作品!水がここまで生き生きしているとは……ジヴェルニーの睡蓮の池の水面とは全く違う種の水を、ここでは感じる。緑で透き通ったその水を見ていると、モネはこの時期、雄々しい男性に戻っていたのかもしれないなどと推測する。
洞窟もこれまた、色鮮やかだ。

『アンティーブ岬』

あの南フランスのアンティーブ海岸を、思い出す。
朝から海岸に連れて行ってもらい、夜遅くまでロゼを飲み、皆でひたすら飲み、語り、踊ったあの学生時代。どこをドライブしても、そこにはこの作品のごとく海があった。
揺れる木も、心地良さが伝わって来る。

『国会議事堂、バラ色のシンフォニー』

大袈裟ではなく、しばらくそこから動けなかった。
サヴォイ・ホテルに泊まり、サント・トーマスのテラス?から何度も描いたと言われる、本作品。
立派な佇まいのはずの国会議事堂が、ここではバラ色の中で不安定に揺れ、水面にも映っている。
このようなロンドンの国会議事堂は、私が実際生で見たそれとはだいぶ印象が違った。
バラ色に染まったこんな不安定な国会議事堂に、出会いたくなる。
恐らくとても、とても希少なタイミングなのだろう……。

『テムズ川のチャリング・クロス橋』

霧の冬に訪れたロンドンで、この絵は完成したという。63歳の作品。
63歳にもなると、川は雲のようにも見えるのだろうか。
その作品に描かれている雲のような川を、歩きたくなった。
チャリング・クロス橋は鉄道の橋だそうで、煙は汽車から出ているようだ。

一見いかにも20世紀初頭の、輝きを放ち切っていたロンドンの風景に見えるが、そしたらどうして切なさも同時に襲って来るのか。
それは、私達がその後のロンドンとイギリスの行方を知っているからかもしれない。
モネは当時何を感じ、何を予測し、この絵を完成させたのだろう……。

右には建物もあるが、それは完全に脇役として存在している。
太陽の見せ方が素晴らしく、その太陽は栄光にも、または見方によってはこれからやって来る栄光の陰りにも見える。

隣の人は、もう一つの「チャリング・クロス橋、テムズ川」の方が好きだという。
川がより川らしく、“始まり“をより感じさせるこちらの作品の方が、明るい印象が強いかもしれない。

『ウォータールー橋、ロンドン、日没』

全く同じ角度からなる異なる時間、天気の3点が展示されていて、その時々で見えるもの、見えないものがあることを知れる。
私達は、「その場所」にある季節のある天気、ある時間に訪れ、「その場所」をさも知ったような気分になっている(少なくとも私は、そうだった)。
だがこれらの連作を見ていると、実際は私達はその場所の一部を知っただけで、本当の意味でその場所を知りたければ、モネのように異なった季節、時間、天気で訪れることが大切なんだと分かる。

まあ、モネほどこだわりを持って何日も長時間同じ場所に滞在はできなくとも、ここと決めた場所は、数日、もしくは数回は滞在する位の気合いを持ちたいものだ。

ウォータール橋の3点では、「曇り」の作品でははっきりと分かる煙突や煙、橋が「夕暮れ」の作品ではほぼわからず、橋も消えそうだ。
私の心に一番残った「日没」でも、煙突はもはや見えない。
その代わりに、水面に映る橋が、この作品にのみ見えるのだ。
この非日常な感じがする点でも、「日没」は一番私の心に残ったのかもしれない。
おぼろげながら確認できる橋も、日没の優しさと比例している。

5章 睡蓮とジヴェルニーの庭

学生だった頃、共に行きすぎる程に飲み騒ぎ、盛り上がったフランス人に、ジヴェルニーを案内してもらうチャンスに恵まれた。

彼のガイドとカメラワークは最高で、私はアリスのような気分で(その割には、まだまだ若過ぎたかもしれないが笑)日本橋や睡蓮池の前でポーズをとった。

あの各場所で、互いに自分達に酔いしれて写真を撮り合ったのはだいぶ前になるのに、絵画は当時の感覚ーあの色鮮やかな花が咲き誇っていた春ー鳥が嬉しそうにさえずり、睡蓮の池と美しいハーモニーを作り上げていたことー柔らかい花にそっと手を添えてみたことー近くのカフェで食べた美味しいケーキー魂がどこまでも平安を感じたことーこれらのことを一気に甦らせてくれる、強烈なパワーを持っている。

当時の光や睡蓮と近いものもあれば、見たことのないジヴェルニーや睡蓮もたくさんあった。
私が知っているのは今の所、あの人と行った、春、晴天の午後のジヴェルニーだけなのだから。

『睡蓮の池』

水面に映る景色も主役なのだ。モネの作品では。
『ザーンダムの港』の頃からモネ自身がそれを予告し、それを晩年花開かせた。
白内障でもちろんとても苦しかったとは思うが、こうして自分が一番追求したかったものを形にして花開かせられたということは、芸術家としては本当に幸せなことでは、と思う。
もちろん、本人の絶え間ない努力とこだわりに、まずは拍手そのものだが……。

『睡蓮』

柳と花々の素晴らしいコラボレーション。
柳は日本でも重要な役割を果たしているが、ヨーロッパの庭園でも随所に見られ、きっと何らかの効果があるから世界で愛されているのだろうか。

『睡蓮の池』

こちらの作品は、緑が中心。70代になり、白内障がより進んだのかもしれない。
よりモヤの中にいるかのような曖昧さが目立ち、私達を幻想へと導く。
小さく儚げな花々が、この緑がかった池の良いアクセントになっている。
オーディオでは“水の反映“が流れていたが、びっくりする程この絵とよく合っていた。

『Peonies』

恐らく、私がジヴェルニーに連れて行ってもらったのは、この絵と同じ季節だろう。
太陽の当たり具合など、妙な親近感を感じた。
藤の花もこんな風に咲いていたな……と懐かしく思い出す。

「“思い出せる“って言えるの、幸せだね」
隣の人の言葉から、私は恵まれてたんだと、感謝の念が溢れる。
素人ながら、少しでもモネなど、素晴らしい絵画や芸術からもらった感性を踊りでも表現できたらいいのに……と思った。

『薔薇の中の家』

最晩年、80代の作品だろう。
悲しみと孤独と、白内障の中で生まれた作品。
白が多い。
意図した「白」もあるだろうが、その中には描ききれなかった「空白」としての白もあったのではないか。
それでも、モネは完成させた。
諦めなかった。

人生には、どうしても出来きれないこともあるのだ。
これだけの巨匠、モネでも、晩年の作品には空白があるのだ。

私のペアダンスのクライマックスも、最後には4つもの踊りに手を出し欲張りすぎて、結局穴や空白も多いラストになってしまうかもしれない。
それでも、この晩年のモネのように、私なりのペアダンスのクライマックスを完成させたいと、この作品を見て思った。
タッチ、描き方は、恐らくここまで見て来た作品の中で、一番柔らかかった。
ペアダンスの目標を無理やりにでも達成させた後も、私の人生は続く。
その先、モネのように柔らかさも加えていけるかどうか。そうしたいならば。

日々たくさんのものに囲まれ、たくさんの人と接し、日々を大切に生きていける人生にしたい。

このモネの人生全体を最後に表現したかのような絵を目にして、そう思った。

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