ヨコハマ・ラプソディ 6 ダイアモンドは傷つかない
六.ダイアモンドは傷つかない
江の島へ行ってから約二週間後の日曜日。俺は志織が見に行きたいと言っていた映画に付き合った。
映画の題名は「ダイアモンドは傷つかない」。志織の話では、中村由起子さんという人が書いた小説を映画化したものらしい。
俺は原作となった小説の内容も知らず、映画のあらすじに対するなんの予備知識もないまま、気軽な気持ちで志織と横浜市内の映画館前で落ち合い、二人で映画を見に行った。
いつものように映画館の客席でポップコーンをつまんでいる間に、長かった他の映画の予告が終わり、やっと本編の上映が始まると、俺はすぐに来たことを後悔した。
それは妻もいる一人の中年男性を巡る一人の女子大生と、別の愛人も含めたぐちゃぐちゃした不倫の話だった。おまけに結構なヌードシーンや濃厚なセックスシーンもある。
志織は原作も読んだと言っていた。いったいどういうつもりで、あいつはこの映画に俺を誘ったのだろう。
まさか……。いやぁ、まさかぁ。そんなはずは……。
一人でぐるぐると考えてしまって、映画の内容はあまり頭に入ってこなかった。一時間四十分少々の、どちらかと言えば短い上映時間が、俺には酷いほど長く感じられた。
映画館を出るやいなや、志織が明るく「面白かったね」と言ってくる。
(えー、あれが面白いのか)
俺は「最低だな、あの男。けど演技はさすがだった」と言ったきり、さっきの映画に関する志織の問いかけにはお茶を濁した。
志織とはこれまで手を握ったことはあるが、肉体関係はおろか、キスさえもしたことはない。
当たり前だ。相手は高校生だ。でもキスぐらいは……。
やはりダメだ。あぁぁ。
俺に女性経験がない訳ではない。けれど、これはそういった経験の有無の問題ではない。
俺は志織が高校を卒業するまでは、絶対に彼女に手は出さないと決めていた。それは高校生と付き合う上での、俺なりのけじめのつけ方だ。他人はどうであれ、少なくとも俺の価値観では、自分はそうすべきと考えていた。
それでも時々、自分の欲望に負けそうになる時はある。なにせ志織はこのところ、さらに可愛くなった。そして、「きれい」になった。贔屓目抜きにしても、そう俺は思う。出会ったばかりの頃に感じた地味っぽさは、いつの間にか消えていた。
最近は気温も高くなって志織が着ている服も生地が薄くなり、おまけにすこぶる良いスタイルを持つ志織は、時々無自覚なまま、俺の自制心に対し無慈悲な総攻撃を仕掛けてくる。それに対し、俺はこのところ防戦一方だ。しかもかなり押され気味。だが、最終防衛ラインまではまだ余裕がある……はず。
志織は来年、大学受験を控えている。これからは受験勉強も、一層気合を入れて取り組まなければならない時期になってくる。そんな時に志織の邪魔だけはしたくない。受験勉強真っ盛りの時に同級生と付き合っていた時も、卒業式直前までなにもしなかった。もちろん当時と今とでは状況はまったく違うが。
俺たちは映画館を出たあと、よく利用する近くの「SHEENA」という喫茶店に入った。
紅茶が評判の店だけど、実はアイスコーヒーが美味しい店でもあるのだ。今までいろんな店でコーヒーを飲んできたけれど、この店の黄金色の金属製マグカップで出だされるアイスコーヒーは、明らかに一味違う。でも、ホットはいたって普通なのだが。
志織はレモンティーを飲みながら、さっきの「ダイアモンドは傷つかない」で主演を演じた女優さんのことをずいぶんと褒めていた。
「ちょっと意外だったなあ。彼女は新人なのに度胸もあるし、演技もしっかりしてた。あの人は将来、きっと有名な女優さんになるよ」
「ほお。志織がそこまで言うなら、大した人なんだろうな」
俺は主演の女優さんを単にきれいな人とは思ったが、演技の善し悪しまではよくわからなかった。
そうか、彼女は新人なのか。それにしては確かに、ずいぶんと大胆な脱ぎっぷりだった。
志織がさっきの映画の感想をあらかたしゃべり終わった頃、俺は彼女に声をかけた。
「志織。今度は俺が見たい映画に付き合ってくれ」
「信也さんが見たいのって、なあに?」
「俺が見たいのは『タップス』」
「タップス」とは戦死者の葬儀の際に演奏される、弔意を表すラッパのことだ。
それから一週間後の日曜日、横浜市内にある別の映画館に、俺は志織と二人で「タップス」を見に行った。
映画の内容は大雑把に言えば、アメリカのある長い歴史を持つ名門の陸軍幼年学校の廃校が決定し、主人公たちが学校存続のため立ち上がり篭城し武器を持って戦う、といったストーリーである。
最後は悲しい話で終わったが、本来、その学校の優秀なエリートだったはずの主人公が、大人たちが言う「反逆者」という立場に立たされ、それでも、若いながらも指揮官としての毅然たる立ち振る舞いが印象的で、緊張感のあるいい映画だった。
俺は存分に楽しんだが、志織は「犠牲になった人たちがかわいそう」だと言い、結末にもあまり納得していない様子だった。
でもまあ、ある意味これでお互い様。俺はこの日、気持ちよく家路についた。
しかしながら、志織が俺を「ダイアモンドは傷つかない」に誘った意図は、未だに不明である。
まさかね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。