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今までの人生35(会いに行けない父の夢)

季節は巡り2015年の春

43歳の春だ・・・

父が転院し
お見舞いに行きたいのに自力で行けない。
タクシー代に片道何千円もかけられない。

母もそれは知っているので
母がお見舞いに行った状況を
私の具合も報告がてら
以前よりも連絡を取り合うようになった。

一緒にお昼ご飯を食べて帰って来たよ。
リハビリ頑張ってたよ。

聞けば聞くほど私もそんな頑張ってる父に
会いたくなった。

相変わらず隔週のメンクリは徒歩か
タクシーで通院。

通院日は自分から母に連絡。

通院だって地下鉄で行けたらタクシー代より
はるかに安い。

気分のいい日は地下鉄の駅に向かい
人の流れに慣れる練習。

少しずつ慣れてきてはいると感じる。
でも改札は通れない。
虚しくて悲しいの繰り返し。

帰宅しては、ぐったりして薬を飲んで横になる。

季節は初夏に変わり
この頃からまたよくを見るようになった。

もともとは見るほうだったし
覚めない夢で悩んだこともあったが
それは落ち着いていた。

見るようになった夢は父の夢。

・左手で頑張って食事している父
・右半身マヒのリハをしている父
・母と楽しそうに話している父
・言語障害のリハをしている父

母から聞いている父の状況の
見るようになっていった。

最初は、会えない父が頑張っている状況を
私に夢で見せてくれてるのかな?
などと思っていた。

しかしそれは全く逆の状況だった。

よく夢を見るようになったことを母に伝えた。
母は覚悟を決めたように

「実はもう自分では食事が出来ていないの。
   リハビリもベットの上。
   言語障害は慣れている人は聞き取れる程度なの。」

夢とは真逆の父の状況に

「会いたい。会いたい。会いたい。」


母に訴えた。

気持ちはわかるけど
今のお姉ちゃんの心の状況を考えたら
会うのはやめておいたほうがいいと思う。

と、言われた。

理由は・・・

・私が知っているふくよかだった父は
 ガリガリに痩せ、たぶん見た目にショックを
 受けると思うということ

・父と同じような患者さんが入院している病院
 なので、そこで私が泣くのが止まらなくなったり
 自宅から遠い場所で具合が悪くなったり混乱が
    起こってしまうと大変な事。

言われてみたら全くその通りだ。
母から父の状況を聞いた時点で
私はすでに泣いていたからだ。

まだ話せるし、ゼリー状の食事もできてるし
尿意や便意も訴えるし、下着も汚さないから
大丈夫。
だと聞き

父が生きている間に会いたい。

強く思えば思うほど
を見る頻度と地下鉄に乗れない焦りが
自分を追い込んでいった。


今日はここまで


寝不足のせいが少し疲れている
たまにはゆっくりしようかな?
甘えになるのかな?
復職に向けての努力に影響が出るのかな?

ちょっと色々考えすぎだ。
文字にするとよくわかる。
今日はのんびり過ごそう。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。