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今までの人生17(初めての心療内科)

やっとたどり着いた心療内科の先生は
おじいちゃん先生で優しそうだった。

「ちゃんとお話聞きますから、
 そんなに泣かなくても大丈夫ですよ。」

優しくかけられた言葉にも関わらず
何を話していいのか分からない。

私が送ったメール内容を見ながら

「色々お話聞いていきますから
 答えられなからったら首を縦や横に振る
 だけでもいいですからね
 ゆっくりお話しましょう。」

優しく話しかけてくれる先生に対しても、
もう涙が止まらず、泣きしゃっくりも止まらず
本当に何も言葉に出来なかった。

「まず最初に辛かったのはお仕事かな?
 流産かな?」

答えられない・・・
首も振れない・・・

もう何が先なのかもこの時は
自分じゃ分からなかったのだ。

「お仕事は好きでしたか?」

縦に首を振る

「楽しかったですか?」

横に首を振る

「上司が厳しかったみたいですね。」

大きく縦に首を振る

よく頑張って来ましたね。

涙は全然止まらない。

「流産は残念でしたね・・・」

大号泣。
ティッシュの箱を抱えながら
やっと出た言葉は

「私はなぜ赤ちゃんを

  産めなかったんですか?」


先生はしばらく無言で
私が少し泣き止むのを待っているようだった。

「赤ちゃんはきっとあなたの命を助けてくれたの
 だと思いますよ。
 赤ちゃんはあなたに生きていて欲しくて自分の
 命に変えてでも、子宮体癌を無くしてあげた
 かったんだと思いますよ。」


うえーんうあーんヒックヒック(泣)

周りが心配になるくらい大号泣だった。

その後、彼が出ていってしまったことには
触れられなかった。(気がする)

長い時間、私の泣き具合に合わせながら
ゆっくり話を聞いてくれた先生。

最後に先生が私に言ってくれた言葉は

「まず、今すぐお仕事を辞めてください。」

「もっと早く会いに来てくれていたらこんなに
 苦しまなくて済んだのに・・・
    あなたは流産した時から1人で悩み苦しみ
    生きるために仕事も辞められず
    体も心も酷使しすぎたんですね。
   ・・・

流産した当時の2年前から

あなたはうつ病ですよ。


 2年間もよくひとりで頑張ってきましたね。
 苦しかったでしょう。
 今はゆっくり休むことです。」


また大声を上げて号泣していた。

どのように手続きをしていったらいいか
話をしてくれる担当の女性とお話をして、
まずお仕事を辞めるところから
やっていきましょうと、
先生から別の支援女性に話の担当が変わった。


今日はここまで


昨日とはうって変わってお天気が良い!
昨日の大雨で実家からの帰宅を1日延ばして
午前中は母の代わりに買い出しへ
午後にやっと帰宅だ。
明日からは自分ペースの生活タイム。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。