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今までの人生82(私のうつ病と伯母の認知症14)

デイサービスの日以外の友人との外出は
従姉も大目に見ていたらしい・・・

私と母はそのことを心配していた。

外出は健康にも認知症にも良いとは思う。
だがその場で何かあったときに対応できるような
身内がいないことが問題なのだ。

従姉や母、私と出かけているならいい。
認知症の理解をしていない友人と出かけているのが
心配
なのだ。

それでもデイサービス。
月イチの内科。
3ヶ月毎の脳の検査。
には行けていた。

私も自分の月イチのメンクリには
忘れず通った。

この生活サイクルは安定し
あとは伯母の認知症や高血圧
糖尿病
が悪化しない事。
母の高血圧と膝の痛みを訴え始め
リハビリに通い始めていたので

伯母、母の体の心配と
従姉のメンタルの心配と
自分のメンタルの改善

気を配る日々で季節は巡り
・・・
・・・
・・・
とうとう2020年新型コロナウイルス
流行が始まる。

今までの心配事プラスにコロナの流行

母も私も必要以外の外出は避け
極端かもしれないが
ほぼ病院と買い物以外の外出は
近所の散歩以外しなかった。

伯母のデイサービスは朝の熱を計り
平熱だったら通所できる環境にあったため
通常通り通所できていた。

手洗い、うがい、消毒等・・・
気をつけれるところは出来るだけ気を付けた。
コロナワクチン
受けたほうがいい受けないほうがいい
論争の中、母は接種することを決めたため
私も従姉も伯母も接種し、コロナ禍にもかからず
何とか無事に過ごしていた。

私がマスクを外すのは
自宅、実家、伯母宅以外なかったので
そんなに大きな心配はしていなかった。

コロナ感染=死
が本当に怖かったのだ。

そんなコロナ禍の中でも
伯母の友人たちは遊びに誘ってきたようだった。

もちろん母も私も大反対だった。
従姉もコロナ禍の伯母の外出は大反対だった。

暴れだされるかもしれない覚悟で
従姉は伯母の外出のお誘いを断ることを
伯母本人に伝える。

案の定伯母は

私の自由を奪うきかい!!

と騒いだらしいが
従姉は少し強くなていた。

そして叔母も命は惜しい
死にたくないという気持ちも
強かったのだろう。

・芸能人でも亡くなっている人がいること
・従姉の同僚の親戚がコロナで亡くなったこと

などを伝えると
伯母は急におとなしくなり
あの芸能人も、この芸能人もコロナ
亡くなったの?

認知症の伯母はコロナを忘れていて当然だが
芸能人の名前や顔は昔からの記憶に残っているため
コロナで亡くなったと知ったことが
ショックだたのだろう。

伯母には大きな薬となったのかもしれない。
友人の誘いにはコロナが怖いから行かない
断るようになっていった。

伯母も自分からコロナ怖いね・・・
というようになり自分でマスクもしていた。
日々のことが習慣になると認知症中期でも
覚えていられたりに記憶として
強く刻まれるのだと
私も初めて実感した。

やっと伯母友の誘惑からも逃れられ
伯母は私の実家に顔を出すようになってきていた。

いいことなのだか・・・

母はなかなか疲れるよ(汗)
とたまに私に電話してきて愚痴をこぼしていた。
・・・
・・・
・・・
だがそんな穏やかな日々は
少しづつ崩れていく・・・


今日はここまで


一年に一回の腹部エコー検査。
肝臓脂肪 これは昔から言われていて
食生活に気をつけて少しずつ良くなってきている。

初めて言われた胆嚢ポリープ!
年齢と肥満のせいもあるらしいが(汗)
小さいので定期検診でOKとの事。
心配しすぎない!
病院も調剤薬局も家より暖かくて
帰りたくない(笑)

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。