見出し画像

今までの人生94(私のうつ病と伯母の認知症最終章)

予定では伯母は自宅に戻ってくることは無い。

帰りたい▶︎もう少しだよ。

この繰り返しでケアハウス
過ごしてもらうしかないのだ。

この従姉の出来事があってから
月末の自宅訪問の日は
必ず従姉宅で署名の確認と
買い物がてらの振込の付き合いが始まる。

最初は母も不機嫌だったが
私が
お互い様だよ!
いつお母さんが近所の従姉に助けて
もらわないとならないことが起こるか
わからないんだからね。

母もこの頃から膝の痛み
体調不良を訴えるようになってきていた。
私が急いで実家に向かっても1時間。
従姉が家にいたら5~10分だ。

そんなことが起こらないように
母にも気を遣いながら
従姉の振込に付き合う実家訪問が毎月の事となる。

ケアハウスに行く時も付き添い
伯母が帰りたいというのを私があしらい
退出する時には従姉は可哀想と思ってなのか
言われるのが辛いのか
いつも困ったような悲しそうな顔をしていた。

ケアハウスに入居してからの伯母は
歩けなくなると言われていたにもかかわらず
つかまり立ちで何とか見守り付きで
歩行できていた。
話は相変わらず同じことの繰り返しだが
同じ話を何回も聞き
同じ返答を初めて聞いたように返す。

従姉は伯母に見えないように
しつこいなぁ同じ話ばっかりで・・・
みたいな顔をしていたが
認知症だから仕方ないのだ。

従姉の姉もたまにケアハウスに電話をし
元気か確認していたようだ。

大人になった孫にも認知症前に会っているのに
小さい時のことしか覚えていないようだし
コロナが収束しかけた時に孫が結婚し出産。
伯母にとっての初めてのひ孫を
写真で見せたりしては嬉し泣きし
2分後には誰の赤ちゃん?

と言った感じで
悪くはなっていないようだった。

このサイクルが私の基本生活サイクルとなり
ある意味うつ病の自分のリハビリにもなっていると
感じる部分もあった。


最終的にはどう頑張っても自宅での
伯母の認知症介護生活は出来ないとの
最終決断でケアハウスを選択したようだが
間違っていなかったと思える。

あまりにも会わないと
忘れられてしまうので
たまに顔を出す従姉。

付き添う母や私。

伯母の記憶はゆっくりだが
どんどん過去に戻っていく。

近親者には辛く悲しいことなのかもしれない。
でも多分最後に忘れるのは自分の子供と
自分の姉弟。

新しい記憶から消えていくからだ。
少しでも元気でいてもらうためにも・・・

なるべく顔出せる時は
ケアハウスに行ってあげて欲しいし
行ってあげたいと思う。

伯母は今、認知症でも幸せに生活出来ていると
私は思っている。


今日はここまで


今朝は朝起きられたし
活動もできた!
午前中に母と買い物。
午後は従姉と買い物。

恵方は東北東!
良き歳になりますように☆。.:*・゜

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。