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今までの人生48(父に囁いた母の言葉3)

「あのさぁ・・・母さんお父さんのお葬式の時
   お父さんに何か言ってたよね?」

気になって仕方なかったのもあって
口に出してしまった。

母はキョトンとした顔をして

「なんか言ってた?」

と、自分では気がついていない様子だった。

私は少し怒りと悲しみが
混ざったような気持ちで

「お葬式の時も、今朝仏壇に手をあわせた時も

お母さんもすぐ行くからね・・・

って言ってたよね?!」

と、私は半泣きで母を問い詰めるように聞いた。

母は、あ〜その事かぁ
みたいな軽い感じで
そんなこと気にしてたの?

そんなこと!?


私にとってはそんな軽いものではなかった。

母は片付けをしながら

「お母さんたち夫婦だって離婚しようか
   悩んだことも過去にはあったけどさ。
   それでも離婚せず、貧しかったけど
   あんた達3人を共働きで育てて来てさ。
   お父さんが53歳の
   まだ働き盛りの時に倒れて
   右半身麻痺の身体障害者。
   お母さんが定年になる前までは
   お父さんも1人で留守番したり
   デイサービス行ったり
   20年間その状態でも夫婦をやって来た。」


母の思いも溢れ出していた。

「20年・・・頑張ったよ。
   お父さんもお母さんも・・・
   頑張ったお父さんに
   先に1人で逝ってしまったけど
   寂しく逝かせたくなかったから
   うまく説明出来ないけど
   安心して逝って待っててね。
   と思って・・・」

そう言っただけだよ?

それがどうしたの?
みたいな顔をしていた。

母自身的にはすごく深い意味で
言った訳ではなく

待っててねー!

みたいな意味だったらしい。

もう子供たちはいい大人で独立し
私以外、弟たち2人には家庭もある。
私は独りだが生活保護で生きていけている。

母的には「そう言っただけ。」の事も

私的には「そう言っただけ?!」
何言ってんの???

母が父に言ったその一言が
私にはどれだけ

重く
苦しく
悲しく
寂しく
孤独

を感じたか・・・
うつ病のせいもあるのかもしれない。
でもこの感情を私は母にぶつけてしまった。


今日はここまで


今日はメンクリなのに
スマホの充電が無くなってて
目覚ましがならなく焦った〜

もちろん遅刻はしてない!
15分前には受付しnote書いては下書き保存して
先生と話して終わったあとにまたnote書いて(笑)
帰宅途中の地下鉄でも書いて(笑)
下車駅で投稿の朝です。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。