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生命のはずみ・3:ベルクソニズム

今、ベルクソンの「創造的進化」を読んでいる途中なのだが、ベルクソンについて知っているようであまり知らないな、と思ったので調べてみたら、ベルクソニズムという言葉があることを知った。

Henri Bergson (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

経歴を見れば、数学や心理学を専門として収めているということで、なるほど、と思ったところだ。どこ、と言われるとちょっと困るが、「創造と進化」でも当時の進化論や博物学・生物学を広く俯瞰していることが伺えるが、全体、哲学者というより科学者という香りがするのだ。

当時、コアなファンが集まり熱狂的な支持を受けたということだが、時代の流れで下火になった。再評価されたきっかけが、ジル・ドゥルーズの「ベルクソニズム」ということだ。

ドゥルーズに限らずメルロ・ポンティやサルトル、ルヴィナスもはっきりとベルクソンに影響を受けていると表明しているとのことだ。

世界の「多層性」の意味するところがベルクソンとドゥルーズとでは異なるということではあるが、しっかりと抑えていきたいポイントだと思う。内から外へ投影され意味づけされる世界、そのように直観される世界が同時に外から内へ折りたたまれていく。内と外が織りなす多重で多層な世界。ベルクソンはどのように考えていたのだろうか。

ドゥルーズは「サルトル」を読んで、十分にわからないながらも深い洞察を垣間見たと思った。調子にのって「差異と反復」を読み始めたところ、すぐに挫折した。

「創造と進化」を読み終えた次は「ベルクソニズム」、そして「サルトル」と「差異と反復」を順番にもう一度チャレンジしてみたいと思った。来年か、それとも再来年になるだろうか。

物質と生命、知性と本能、進化、それらを軸に展開される、実在、直観、記憶、持続、自由、創造、時間、これらも注意深く読んでいきたいと思う。フッサール、ハイデッガーとも対照して理解するべきなのだろう。

また思弁的な議論よりも、現実に私たちが知覚し経験する世界を大事にして離れない視点は、プラグマティズムへの影響とも合わせて理解するべきなのだろう。

「創造的進化」24年前に購入した当時、2-3度読んだはずだし、傍線もいくらか引っ張ってあるのだが、まったく覚えがない。まだ少しづつ読んでいる途上だが、今度こそしっかりと内に取り込みたいものである。それだけの価値があると改めて思う。

それにしてもさっぱりわからないながら、当時、どのようにしてこの本を嗅ぎ当て購入し、そして今また読み直しているのだろうか。

不思議な縁だとしかいいようがない。このような出会いは大事にしていきたいものだ。



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