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加藤文元「ガロア・天才数学者の生涯」

数学に興味が少しでもあるとガロアの名前を聞かないことはないだろう。現代数学における重要な概念である群論や体、そして集合論の考え方を時代に先駆けて見出した天才数学者で、「ガロア群」という概念にその名を残す。

後の数学に大きな転換をもたらす基礎概念を10代の後半で確立しアカデミアに問うも、そのあまりの先進性のゆえに、そして多くの不運が重なったために、短い生涯のうちには十分に理解されなかった。1811年から1832年というフランス革命の後、7月革命のころのフランスに生き、過激な政治活動で投獄され、そして女性をめぐる決闘によって20歳にしてあの世に行ってしまった、という波乱の生涯もあまりにドラマティックだ。

加藤文元の語り口もよく、とても楽しく昨晩から一気に読み終えた。特に、ガロアをとりまく当時のフランス・パリの激動の様子が行きつ戻りつしつつうまく描かれ、そして日本の高校にあたるリセ「ルイ・ル・グラン」の様子、「エコール・ポリテクニーク」の2度の入学試験の失敗を経て「エコール・プレパラトワール」への入学のエピソードなど不遇の天才ならではの話も面白い。ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の主人公の一人・マリウスに重ねるところも面白く読んだ。

ガロアの概念について当時の数学界がまったく無理解だったか、というとそうではなかったらしい。本書によれば、少なくともコーシーは完全に理解していたということである。また、リセの数学教師リシャールはその才能を見抜いて良き師となり、当時の著名な数学者達に売り込みアカデミアへの論文提出に導くなど力を尽くしたそうだ。様々なエピソードから、まだ10代の彼がずば抜けた数学の天才であることが、当時、広く一般にも知られていたことがよくわかる。

その後ガロアの遺稿をまとめ世に知らしめるべく奔走したというオーギュスト・シュヴァリエとの交流の様子は、本書で多くは語られないものの、数少ないながらも彼を理解する友人がいたことに、すこしほっとさせられる。

決闘で死ぬ前年の1831年から政治活動で逮捕され身柄を拘束されていたガロアだが、最初はサント・ベラジー監獄で拘禁・服役していた。1832年の3月にコレラの流行でフォートリエ療養所に移され、そこで出会う女性に恋をしたが失恋に終わる。釈放後の5月25日に書かれたシュヴァリエへの手紙は失恋の痛手や自身の人生への感情の吐露が入り混じっているが、その素直な言葉に心を打たれる。そして、その5日後の5月30日に決闘があるとは想像もしていない様子だ。「決闘の前夜に、ほぼ徹夜した書かれたと推察される」というシュヴァリエへの手紙、前日の29日に共和主義の同士たちに送った手紙は自身の死を確信した遺書と言える。それぞれ、正義感にあふれ真面目で優しい文章だ。天才でありながら、しかし生まれた時代と偶然による不運のために十分に理解されないまま20歳という年齢で死んでいったガロア。

ガロアの理論が本格的に受け入れられたのは1846年になってからだという。そして、それは「近代数学史上最大の発見と言っても過言ではない、巨大な業績 (本書 p.3)であり、その後の数学を大きく変革するものだった。


コーシャン病院で死を目前に控えたガロアは、彼を看取りに来たアルフレッドにこう言ったという。
「泣くな、二十歳で死ぬためにはあらん限りの勇気が必要なのだ」

加藤文元著「ガロア・天才数学者の生涯」p.256


多くの人に一読をおススメするものである。


■関連 note 記事

今年の年始に加藤文元の本を初めて読んだ。広く深い数学の世界を垣間見ることができ、しかも現代の最前線に触れることができて、とても興味深かった。

そしてそんなこともあって数論に対する興味がかきたてられた。

有理数や無理数・代数的数・超越数について2年前に垣間見た。

思えば、だいぶん前から少しづつ布石を打っているような気もする。この先、どこに私を連れて行ってくれるのだろうか。

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