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円周率・再び:西岡久美子「超越数とはなにか」

3月14日は、世界的に円周率の日である。

去年、同じ書き出しの「円周率」という記事は、どういうわけかよく読まれた(*1)。 この記事を noteに投稿したのが 2020年3月14日の1時15分(*2)、それから3時間ほど寝た早朝、孫が生まれたという知らせがLINEで入った。

だから、娘には「お前の娘は円周率の日に生まれたんだぜ、きっと算数が強くなるぞ」と言ったが、2,3回言っても、まったく感心してくれない。妻にも 2,3度言ってみたが、完全無視である。だから、もう誰にも言わないことにした。

さて、円周率は無理数というだけではなく超越数だということだ。そういえば、そんなことを習ったな、と思い出し、まずは入門とばかりにブルーバックスの西岡久美子著「超越数とはなにか」を入手して読んだ。そっけない文章で、定理と証明の連続で構成され、エピソードとかコラム、個人の感慨などのたぐいの無駄がまったくない。これはなかなか面白かった。

文章の魅力などは、前回、2週間ほどまえにnote に投稿したので、そちらも読んでみてほしい。

とはいえ、多項式や無限級数などの数式にかなり慣れ親しんでないと読み続けるのは困難だろう。「はじめに」の章で、執筆にあたって高校数学程度の知識で理解できるように心がけた、とあるが、いやいや、なかなかハードだと思う。基本は四則演算だし、微分積分を使う部分があるとはいえ、基本的なところしか使わない。しかし、定理も証明の手順もトリッキーだし、扱っている概念は相当に高度だ。

また、次のようにも書いている。

本書ではいろいろな超越数の例や証明を紹介します.証明はあまり予備知識を必要としないものに限りましたが,難しいと思うものはとばして,定理や例だけ読んでも十分楽しめると思いますので気楽に読んでみてください.

たぶん、定理や例だけ読んで十分楽しめる人は、証明も問題なくついていけるだろうし、逆に、この手の証明に慣れ親しんでいないと、さっぱりわからない感で楽しむどころか最初の数ぺージだけで投げ出してしまいそうだ。が、著者は余計な言い訳やくどい説明もすることなく、そっけなく簡潔にずんずんと進めていく。

私の場合、定理の名前や概念をおおざっぱにつかんで「へぇ、新しいことを知った、こんな世界もあるんだ!」と、それだけでも喜んでしまうので、ひょっとしたら読者としてターゲットにされている層の1人なのかもしれない。

本の内容は以下のような感じだ。

第一章で超越数とはなんであるかを示し、いくつかの超越数の例と定理と証明を示し、以降のあらすじが提示される。第二章は代数的数について説明される。代数的数とは、有理数を係数とする多項式=0 の解になる数字である。超越数は代数的数でない数だと定義される。だから、超越数であることの証明は代数的数ではないことを証明することになるのだ。

そして第三章が目当ての e (自然対数)と π (円周率) の超越性の証明である。eは1873年のエルミートによる証明、πは1882年のリンデマンによる証明だ。 

そのへんで終わりかと思えば、これは序の口、第4章では、実数をさらに拡張してべき級数が導入され、多項式を係数にしたべき級数の多項式が導入される。代数的べき級数と超越的べき級数があるというわけだ。マーラー関数、無限積、フィボナッチ数の逆数和、と展開され、そして第五章は超越数の代数的独立性、というところまで展開される。最後の第六章はマニアのためのおまけだということで、補遺も含め、かなり高度な内容だ。

途中で細かいところはわからなくなってしまったものの、最後のページまで繰って大体の流れはつかんだつもり、そして第三章にもどり  e (自然対数)と π (円周率) が超越数であることの証明を、何度か読み直したうえ、大雨と強風の土曜日の今日、3月13日、ノートとペンで改めてたどってみた。

とうてい、「理解した」というレベルではないが、書いてあるとおりに順番に追って行けばたどり着く、やっていることはなんとかわかる、というくらいの分かった感は持つことができた。

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そのうえで、また前の章をパラパラ見直して見ると、あー、なるほどなるほど、と思えるところが何か所もあり、なかなか味わい深い本である。

しかし、著者によれば「πが超越数であることの証明は実用上はまったく意味がないかもしれませんが、人々の心に平安を与えてくれます」ということで、それは大変いいことだとは思うが、それを知って心の平安が得られる人はかなり限られているだろう。

これは、円周率を 3.14 と教えても 3 と教えても実用上は特に問題はないが、3.14と教えたほうが心の平安を与えます、ということに実は通じている。実際、小学校で円周率は3と教わったって、ほとんどの人は現実に困ることはないだろう。

では、πが超越数であること、無理数であること、無理数と有理数は大きく異なること、円周率は 3.14 としたほうが 3 とするより真値に近いこと、このような実用上意味がなさそうなことを知ることに何の意味があるのだろうか。

実用上まったく意味がない、と読んだ瞬間に本を閉じてしまう人もかなり多いだろう。

最近はとかく意味のないことはなるべくしないようにしよう、意味のあることだけに集中して、20%の労力で100%の成果を出して、生産性を向上しよう、という風潮が強い。しかし「意味のあることがわかっていること」はすでに自分が知っていることの範囲だけのことだろう。自分が知っている範囲のこと、自分の思考能力の範囲だけで勝負できるうちはいい。

仕事や行動のルーチンを書き出して計測し無駄を極力省き、やるべきことに集中していくようにする。そうすることで、より高いアウトプットをより少ない労力で出せるようにする。それはそれでよいだろう。

しかし、世の中・環境は変わるのだ。特に、今の時代は変化のスピードが速い。会社に就職してからの定年までの間にもガラリと変わってしまう。だから個人も常に学習して進化していかなければならないのだ。そんな時代だからこそ、だから「無駄のない効率よく的を得た学習」が叫ばれることになるのだろうが、ちょっと待ってほしい。

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学習するとはどういうことなのだろうか。

逆の場面を考えてみるとなんとなくわかる気がする。「お勉強ができるばかりじゃダメですよ。」「あいつは全然学習せんな、いつまでたっても同じ失敗ばかり繰り返す。」・・・・つまり、知識や考え方をとりこむだけでは十分ではなくて、行動・言動が変わることで初めて学習したと認められるわけだ。そして、行動・言動が変わるには、新しい知識・考え方やものの見方を取り込み自分のものにすることが必要であることは言うまでもない。そして、新しい知識や考え方を取り込むためには、行動・言動が必要だ。

つまり、まず知の探索を行う必要がある。失敗や成功を通じた経験や気づき、あるいは同僚や上司、他人の観察、読書など、自ら働きかけたりあるいは他人から刺激を受けたりすることで、自分が今持っていない知識や考え方やものの見方や、五感あるいは第六感も含めた直観などを取り込むことだ。

次に、これらは記憶され、自分の概念の中で消化し、すでに持っている概念との組み合わせによる総合、あるいは分析によって、新たな概念が形成されなければならない。このとき、新たな概念が形成されるだけでなく、すでに持っている概念が強化されたり、深堀されたり、あるいは変容する場合もあるだろう。

そして、これらは行動に結びつかなければならない。新しい知を獲得したとしても、使える状態になっていなければ行動に反映されない。それはツールやマニュアルだったり、行動指針だったり、あるいは常識、性格・人格あるいは暗黙知という形になって自分のものにする必要がある。

そうして学習することによって、行動・言動が変わり、新たな経験が得られることで、また新しい学習がされていく、というわけだ。

学習に結び付く新たな知の探索というのは難しいものだ。

新しいことを学んでいるつもりで、得てして「ああ、なるほどそうだよね、そうだよね、私がこれまで思っていたとおりだよ」ということばかりなら自分の知っている範囲を繰り返し探索しているだけで新しいことは得られない。かといって、知らないものは取り込むのは時間がかかるしエネルギーもかかるし、場合によっては心理的負担も大きい。知らない内容だったらそれが役に立つのかどうかなんてわからない。

さらには、将来きっと役に立つから、あれとこれを勉強しておこう、と将来から逆線表をひっぱって探索してもさぁ勉強できたぞ準備万端、となったころには世の中がガラっと変わっていてまったく実用の役に立たないなんてこともよくある。

だが、まったく無駄に思える知識や考え方でも、それによって今まで自分が持っていた知識や考え方をとらえ直し、新たな組み合わせを発見したり、あるいは抽象度や具体度が高まることによって新たなものの見方ができるなど、そんな風に思わず役に立つことだってある。しかも相当な時間がたってから、自分でも気が付かないうちに、という場合もある。

だから、賭けみたいな部分が大きい。言ってみれば無駄が多くなる。

無駄かもしれないと思いつつ、新しいことを探索して取り込むように働きかけ、一方で生産効率を高めるように今持っているものの無駄をそぎ落とし磨き込む、両方をバランスよくできればよいのかもしれないが、どっちつかずで進まないのも問題だ。

自分にとって役に立つのか立たないのか考えすぎて足がすくんで動けなくなっている人もいるだろう。

と思っていたら、最近、独学を勧める人が多い。いくつか、最近目についた記事をリンクしておく。

私は、昔からずっとどちらかというと独学派なので、むしろ、ちゃんと人から教えてもらう方法を学びたいと思っているのであまり参考にならないのだけれど。

さて、「無駄のない効率よく的を得た学習」なんてありえるのだろうか。

結局、「将来、無駄になるかどうかなんてわからない」「何事も自分の肉となり骨となるのだから無駄なんてないんだよ」「無駄をたくさん持っていたほうが柔軟にいろんなことにしなやかに対応できる」「つまりは無駄はレジリエンスに結び付くのだ」などと思えば、無駄か有用かあまり考えずに興味に応じてどんどん取り込むようにするのか、それとも、直近で実用上必要なことに絞ってガシガシ高速にたくさん学んでいくのか、それはなんでもよいのだろう。

無駄は一種の贅沢であり余裕である。そこから新しい展開も生まれることもある。だから心の平安が得られる。

円周率は 3 でも 3.14でもない。3.1415926535897932 .... と無限に続く無理数であり、超越数でもある。自然対数の底 e も超越数であることが証明されているが、e + πが超越数か否かは今もわかっていない。

最後に、もうひとつ印象に残った文章を、本書の「はじめに」から引用しておく。

不可能であることが証明されるまでは解く努力が続けられるわけですから、不可能を証明することは重要な意味を持ちます。

この言葉はどこかで使えるであろう。



■注記

(*1) 去年の記事を書いたとき、2019年3月14日時点での円周率計算の桁数の記録は約31.4兆桁と書いた。そのときちゃんと調べなかったのが悪かったのだが、2020年の1月にTimothy Mullican氏が 50兆桁計算し、これが今も世界記録のようだ。自身のブログにどんなPCでどんな風に計算したか書いてある。

(*2) 今年(2021年)もこの記事を3月14日1時前に投稿するわけだ。もちろん狙っていたわけだが、来年も同様に続編を書くつもりである。そのころ、超越数や数論、集合論、そして無限と無限の密度など、理解が少しは深まっているはずだ。



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