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加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」

正月の休みから1週間ほどかけて、柄谷行人「力と交換様式」と加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」という内容も語り口も対照的な2冊を読んで非常に興味深かった。1月4日、それぞれ半分くらいまで読んだところで残りの半分が楽しみ、と書いた。

両方とも期待にたがわず面白く読了し、先週は柄谷行人「力と交換様式」について、思ったところを書いた。次は、京都大学の望月新一教授が提唱した数学理論「IUT理論」を一般向けに解説した加藤文元著「宇宙と宇宙をつなぐ数学IUT理論の衝撃」について、2回にわけて今週と再来週に書いておこうと思う。今週は、ほぼ本の内容紹介だ。


それにしても、「IUT理論」というのは日本語では「宇宙際タイヒミュラー理論」というが、なかなか怪しい響きだ。なにしろ「宇宙際」というのが聞き慣れない言葉だ。これは「国際」を対比して考えるとわかる。国際を辞書で引いてみれば「自国の中だけにとどまらず、他の国と何らかのかかわりを持つこと」(新明解国語辞典)とあり、これと同様の意味の「際」だということである。つまり、「宇宙際」というのは、複数のいろいろな宇宙があることを考え、他の宇宙と私達の宇宙との関係を論じるということなのだ(*1)。

「タイヒミュラー理論」という単語も聞き慣れないが、オズヴァルド・タイヒミュラーという第二次大戦のころに生きたドイツの数学者による数学理論だという。望月教授は、IUT理論よりも前に 「p 進タイヒミュラー理論」を確立したことでも知られている。

古典的なタイヒミュラー理論は、リーマン面と呼ばれる図形における2つの次元に注目して、その複素構造を破壊する変形を行いますが、p進タイヒミュラー理論は、複素数の代わりに p 進数と呼ばれる数体系で、似たようなことを考えます。宇宙際タイヒミュラー理論は、またこれらとは異なっているが、やはり2つの次元が一蓮托生に絡み合っているという状況を正則構造として、似たようなことを考える理論なのです。

加藤文元「宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃」
p.121

宇宙際タイヒミュラー理論の考える「宇宙」は、整数と足し算および掛け算からなる演算とを持つ「環」(wikipedia 環)と呼ばれる数学的対象のことだ。また、その宇宙の「2つの次元が一連托生に絡み合う」正則構造とは、足し算と掛け算のことだ。

望月教授ご本人による冒頭の「刊行によせて」にはこう書いてある。

この足し算と掛け算の間にある「底なしに固いはずの関係」を解体して変形を施すことがまさに理論の核心的な部分に対応します。しかも、単に解体して変形を施すだけでなく、固いはずの関係を再構成する際、きっかり元の固い状態のものとして再構成するのではなく、様々な「緩み」=「不定性」が必然的に付随してしまう、「ゆるゆる」な状態で復元するのです。言い換えれば、復元後の、足し算と掛け算の関係というのは、本体の固い関係そのものではなく、本来の固い関係に対する「一種の近似」でしかありません。

p.8-9

解体して変形を施した別の宇宙と、私達の宇宙は、本来異なる宇宙であり行き来はない。が、その他の宇宙の世界を私達の宇宙に「再構成し復元する」ために「操作の対称性」を考えるというのが、もう一つの理論の核心的な部分のようだ。

また、「ゆるゆる」というのは、量が確定した等号の関係ではなく、不確定な不等式の関係で議論するということだ。有限である(無限にはない)とか、ある量を超えることはない、とか、いくらでも近づけることができる、とか、そのような言葉によって表現されることだ。

このように、専門用語を使わずに優しく語ることができるというのは素晴らしいことだ。わかった感をもたせて興味をしっかりつかみ、素養のある人は先に進めばいいし、これ以上いけない人でも最先端のイメージをつかむことができる。

上に引用した文章は望月教授本人によるものだが、やさしい日常語で書かれていてわかったような気持ちになりながら、わからない感じがおおいに残るかもしれない。しかし、そもそも理論自体を完全に理解するには論文、つまり全4編で構成され 総ページ数が500ページ超という論文を読みこなすしかないわけで、パラダイムが異なる革新的かつ複雑で難解な理論のために学会でも理解が進まないというのだから、心配することはない。

そして、加藤文元の本書全体がまったく同じ優しい調子だ。


本書は以下のような構成だ。

1章が「IUTショック」、2章が「数学者の仕事」、3章が「宇宙際幾何学者」と題し、IUT理論がこれまでの数学理論といかに異質なものかを解説し、ときに学会の一部から批判されているらしい望月教授の発信の仕方やコミュニケーションの仕方を紹介して弁護し、さらに望月教授の人間的な魅力についても、IUT理論の構築の過程においても関係の深い著者ならではの解説を丁寧に重ねていく。

4章が「たし算とかけ算」と題し素数、素因数分解、ABC予想、が解説される。たし算とかけ算や数字といえば、皆が常識としてわかっているけれども一段二段と掘り下げ概念化してみると意外に難しいことを知ることができる。5章が「パズルのピース」と題し数学の研究を絵がかかれていない白紙のジグゾーパズルになぞらえ学校で教わる数学と研究における数学がどのように違うのか改めて考え、それにからめて正則構造や不定性について説いていく。

6章「対称性通信」7章「「行為」の計算」は、群論の概念について対称性を軸に難しい記号や式を使わずに説明し、他の宇宙を考えることの意味やその関係を論じる方法と概念について解説され、そのうえで8章「伝達・復元・ひずみ」でIUT理論のイメージが構築される。

「遠アーベル幾何学」や「テータ関数」といったキーになるらしい理論も紹介されるが、理論そのものの詳細はともかくとして、読み進むごとにじわじわとわかった感が増して親しみがわいてくる。そんな理論のイメージとともに、本書で伝えたいことは以下の点ということである。

・IUT理論は数学の世界で革命的な理論であることー数学の世界で「革命的」とはどういうことか。
・IUT理論がいかに斬新で深遠な発想によって構築されているか。
・そうであってもIUT理論の発想そのものは、ある意味自然な発想であること。


これらの点について、十分に楽しむことができるはずである。

さて、本書を読み、新しい知識の獲得について考えたところ等、思ったところを書いてみようとしたけれども、今回は本の紹介までにとどめて再来週にまた改めよう、と思う。



■関連リンク

なお、本書は、2017年10月に行われた数学イベント「MATH POWER 2017」における著者の講演がもとになっている、ということだ。ニコニコ生放送での中継に英語字幕がついたものが YouTube にあがっていて、誰でも視聴することができる。

MATH POWER というイベントについて私は知らなかったのだが、カドカワのというかドワンゴの川上量生氏が個人的にスポンサーをしているイベントということで、そんな経緯から本書の発行は(株)KADOKAWAの発行だ。

川上量生は「おわりにかえて」と末尾に解説も寄せていて、こちらもまた、まったく違った意味ではあるが、興味深かったので、来週にはそのことも書きたいと思っている。


また、講演のスライド作成には実業家にしてプログラマーの清水亮氏が協力しているということだ。この方の WirelessWire News のコラムはなかなか参考になるし面白い。最近ちょっと読んでないが、だいぶん以前から楽しく読ませてもらっている。



論文は望月教授の自身のサイトに2012年8月30日に公開されたものだということである。望月教授の論文の一覧とそれぞれへのリンクは次のサイトにまとめてある。


参考までに、本書や望月教授の雰囲気を感じていただくのに本から図を孫引きし、ソースのサイトのリンクも貼っておく。

著作権的にはNGかもしれないが、これが宇宙際=自宇宙と他の宇宙との関係を論じるイメージだということである。なんとなく「宇宙際」のイメージがつかめるだろうか。 p.313



■注記

(*1) IUT = Inter-Universal Teichmüller ということだが、"universal" という単語では少し意味が違うような気がしてしまった。

Universal = 「世界中の、万人の、普遍的な、宇宙の、万物の」といった意味だからだ。


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