僕には無数の嘆きがある
先程NHKのEテレで放送された《悲しみから逃げない》を見て、とても良かったので忘れないうちに書き留めておこうと思います。
苦しいことを苦しいって言っていい。
ずっと嘆き続けていい。
忘れなくていい。
ぽつりぽつりと語る又吉さんの言葉が心に響きました。
広島出身の作家
原民喜(はら たみき)
原爆から4年後に書かれた作品
『鎮魂歌』についての番組でした。
僕は存在しなくていいのか。
違う。それも違う。
僕は僕に飛びついても言う。
……僕にはある。
僕にはある。僕にはある。
僕にはまだ嘆きがあるのだ。
僕には一つの嘆きがある。
僕にある。僕にはある。
僕には無数の嘆きがある。
初めて『鎮魂歌』を読んだという又吉さん
又吉「ふつうの言葉では言語化できない感覚を、なんとか言葉にしている印象を受けて…原民喜っていう作家自身に興味が湧く」
原民喜は引っ込み思案で、中学校に入学してから4年間、クラスメイトや先生の誰一人として原民喜のしゃべる声を聞いたことがないというエピソードがあって…。
又吉「僕もクラスメイトに声聞いたことがないって言われました」
「無口な人って、めちゃくちゃ頭の中で喋ってるケースが多いと思う。
考えてることはいっぱいあって一個しかない出口から出ていかない。
なんとなくイメージはあるけど、言葉としてそれを掴んでいけない。この時から声にならない言葉を聞いていたのかな」
『鎮魂歌』は東日本大震災を経験した人の間でも読まれ始めている
【福島の震災を経験した澤さんの話】
「福島には2つの時間があってね、“そんなのいいよ”って忘れようとする時間と、私みたいにこだわって“いや大丈夫じゃないよ。常に心配しておかないといけないよ” っていう時間が2つ流れていると思うんですね。
非常にアンビバレント(相反する感情)ですけれど、嘆きとか苦しみを背負うと本当は苦しいという気持ちと、それがないと今の自分が成り立たないという部分とがあって。
結局、生きるってそういうことなんじゃないかなって思うんですね」
【澤さんの話を受けて】
又吉「前へ進もうとしている人たちの中で、“みんな頑張ってる時に、お前だけ何言ってんねん。みんな大変やねん”っていうふうに言われる中で、取り残されている人の受け皿っていうのが、『鎮魂歌』になっているんじゃないですかね」
「人それぞれ、スピードというか、速度があるんで、原さんの速度感を必要としていた人は絶対いるから」
鎮魂歌の発表から2年後、民喜は自ら命をたつ
一つの嘆きに堪えよ。
無数の嘆きに堪えよ。
嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。
還るところを失った僕をつらぬけ。
突き放された世界の僕をつらぬけ。
又吉「民喜は自分で死を選んでしまうんですね。みんなの死を請け負ってしまったという。僕は小説を書く時に、一番しんどかった街の、行きたくもない街、行くだけで憂鬱になる街の一番嫌な街にアパート借りて書いたんですけど、しんどかったんですよ。それをずっとやってたんかなって。
(民喜は)愛する妻の死に向き合っている最中に、広島での体験があって、
一つ一つ全部ちゃんと向き合った。受け流さなかった
って言うことなのかなって。
自分のために考えないようにしようっていうことも、人として必要やと思うんですよ。でも、作家として、原民喜はそれができなかったんでしょうね。なんか、純粋な魂やなっておもいますね。
(´-`)又吉さんって、頭良いんだろうな。コメントがスッと入り込んでくる。
私自身、HSP(繊細さん)として生きていくと、目にすること一つ一つを重く受け止めて、傷ついて、気になって、《受け流さなきゃ。感じないように見ないようにしなきゃ》と思って生きているんです。
そんな中で原民喜さんのように生きた人がいて、(もっと楽に生きられただろうに、ある意味)不器用な生き方を選んだことを、又吉さんが、「そのスピード感を必要とする人がいる」「一つ一つ全部ちゃんと向き合った」と敬意を込めた言葉にしてくれたから、とても救われた気がしたんです。
傷を忘れなくたっていい。
苦しみを見つめて生きていくことだって肯定される。
気づきのあった番組でした。