書くことが「好き」の考え。 1

 書くことが好きである。

『書く』ことについて

 ひと言に『書く』といっても、その内訳は多岐にわたる。
凡そ全部ひっくるめて好きではあるのだが、全ての好きなことをいっぺんに挙げていくのも大変なので、多少細分化してみて思いついたものを書いていきたい。
 ということで今回は『文章を書く』ことについてぼんやり考える。

本題に入る前に

 『書く』となると一義的には紙にペンで書くことを指すと思う。
ひと昔前(書き始めた当初)はそれがほぼ唯一の方法だったが、今は専らPCにキーボードで打ち込んでばかりなので、厳密には書くではなく打つと表現すべきなのかもしれない。
 ただまぁ、『文章を打つ』だとどうも味気ないので、創作する的なニュアンスで『書く』と表現していると捉えてもらえるとありがたい。

文章を『書く』ことについて

 本題に入るが、文章を書くのが好きである。

 小学校高学年あたりに突然読書に目覚め、多感な時期に突入した中学生あたりから「自分でも何かを書いてみたい」と思い始め、自分なりに詩やら小説やらを書き出したのが始まりである。
(幸いなことにあまり黒くは染まっていなかったので、突然何かの能力に目覚めたり異界の神獣を体内で飼い慣らすというようなことは無かった)

 PCやインターネットが本格的に普及し始めてからは、HTMLタグを過積載したホームページを作っては創作に明け暮れ(嗚呼今は亡きYahoo!ジオシティーズ、魔法のiらんど、etc...)、それは高校生、大学生と時が流れても継続していた。
 それに並行して、高校生あたりから日常雑記や雑文を徒然に書き残すことの楽しさも知り始め、mixi日記に始まり、その後個人ブログを何件か乗り換えながら現在までひっそりと続いている。

 社会人になってある程度時間が経った現在は、創作よりも『ただただ文章を書く』方の比重が増えてゆき、個人ブログの他にも始めたばかりのnoteでぼんやり考えたことを今こうやって書き綴っている。
 小説はすっかり書かなくなって久しいが、詩に関しては牛歩よりも遅いペースではあるものの、本当に「忘れた頃に」更新する場所はまだ一応残っている。

 と、ざっくり遍歴を振り返ってみたが。途切れ移ろいがちではありながら現在までこうして「書く」を続けていたことに、まず我ながら驚いている。

なぜ『書く』ことが好きなのか

 飽き性を自認していながら、なぜ数十年もこうして「書く」を続けているのか。
 といっても特に学術的な考察をするつもりもない(そもそも大した学術も持っていない)ので、ぼんやり考えてみるに留めるが、やっぱり単純に「書くことが好き」なんだろうな、としか思いつかなかった。

じゃあ何が、どんなところが好きなのか、というのを考えてみる。

・考えたこと、思い描いたことが形になる

 心情や描写を詩に、設定や空想を小説に、ぼんやり考えたり思いを巡らせたことを文章に(今やっているようなこと)落とし込むことで、ひとつの『作品』となることの達成感や喜びは確かにある。
 雑然とした考えもざっと書いてみることで整理され、何かの答えが導き出されたりまた新しい方面への考えに発展していくことも大いにあるので、それ自体にも楽しさを見出しているのかもしれない。

・評価を得られたときの嬉しさ

 自分の作品に好意的な反応があるのは嬉しい。
 このnoteもそうだが、発信するという行為と承認欲求は切っても切れない関係性があると思っている。そして承認欲求の充足は自己肯定感と、更なる発信への意欲にも繋がっているとも思っている。
 承認欲求→発信→充足(=自己肯定)→更なる承認欲求→発信という裏を返せば無限ループとも言えなくもないが、書くことを続ける、ということはそういうループに上手く乗ることなのかもしれない。

 これまでのnoteにスキをくれた方々には感謝しかない。ありがとうございます。

・話すよりも書く方が易い

 口頭で誰かと話をしながら内容を整理して会話を続けたり意見を言ったりするのが少し苦手である。それをすることに比べたら、メールやチャットで文章を書いて出す方がよっぽどやりやすいと思っている。
 社会人としては若干致命的とも言えなくもないが、個人的にそう思っているので仕方がない。
 念のため言っておくが、一応仕事はちゃんとしている。口頭でもちゃんとやっている。出来るだけ。

好きの理由はたくさんある(はず)

 自分の思う好きな理由はぼんやり考えた限り上記の感じだが、書くことが好きな人の数だけ、書くことが好きな理由はあるはずだと思う。
 ここまで読んでくれた稀有な人のうち、奇特な人がいれば「自分はこういう理由で書くのが好きだよ」というのをぜひ教えてくれると嬉しい。コメント機能とか使ってさ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?