見出し画像

自身の上位互換にリアルで遭遇する

 僕は読書家だ。蔵書家でもある。
 幼い頃から今に至るまで、文学・哲学・歴史学を中心に、人文系の古典作品によく触れてきている。ネット上には確かにそういう人は探せばざらにいる。
 研究書を読んでいる方もいれば、原書で読解している人も。
 つまり、何をどれだけ読んだかなどでマウントをとるという習慣は僕には幸いにして無い。よくいる読書好きのひとりに過ぎないから。
 
 それでも、いざリアルとなると、僕ほど本に囲まれた生活をしている人と出会ったことがなかった。
 「現代小説は読むけど、文豪はべつに」という僕とは少し反対に位置する読書趣味の人はいるけれど、読書趣味で僕と一致する人はいないに等しかった。

 そんな半生の中で、初めてリアルで文豪の小説を好んで読んでいる人に遭遇した。
 その人に好きな作家を聞いたところ、悩んだ挙句、太宰治をまず挙げ、その後、つらつらと芥川やドストエフスキーの名などを紹介しだした。
 
 ちなみにその人は年下。仮にAさんとしておこう。
 何だか怪談の前振りのようだが、Aさんが文豪好きと告白した際、僕の中では、まさかドストエフスキーすら読んでいるとは思いもしなかった。
 御見それしましたという表現がこの場合正しい。
 
 なるほど僕もその当時、『地下室の手記』は読んではいたが、それでも好きな作家として出てこない。そして決定打は、尾崎紅葉をAさんは読んでいる、という点。
 僕はというと、『金色夜叉』のストーリーは知っている。だが、通読したことはない。

 更に、僕との差異を際立たせたのは、僕が古書も含め、紙の本として・蔵書として所有しているのに対して、Aさんは読了した作品の8割以上を図書館で借りて読んでいるという点。
 僕にはそれが、とても身軽で、純粋にすら感じられた。書斎派の僕とは、風通しの良さが違っていた。
 僕みたいに積読という事も起きない。ひとつひとつに向き合い、手元にはお気に入りの数冊だけ。
 
 年下であることからも、これから先、更に僕より多くの作品に触れる可能性がある。
 世の中にはサピオロマンティックsapioromantic、すなわち相手の知性に恋愛的な魅力を感じる事もあるが、それ以上に僕にとっては、Aさんは今でこそ、僕の好きな文豪・武者小路実篤を読んでいないとはいえ、いわゆる「上位互換」なるもののようだと、素直に感銘を受けた。
 決して田山花袋『蒲団』のような状況ではないので悪しからず。

 これ以降、僕は改めて読書への沈潜、作品とともに修道することを誓った。これは主知主義(知性主義)的な立場かもしれない。
 知識への崇拝。知識の最大化。ホームズへの憧れも、その超人的な知識とロジックに惹かれてのこと。
 今後は物理的な本の数に惑わされず、傲慢にならず、ひたすらに名著に触れ、己の知性を研鑚いたします。
 
 ちなみに今読んでいるのはヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』。
 座右の書のひとつになるレベルで僕には響いている一作。そのうちに僕も尾崎紅葉を手に取ってみるか。
 一応、持っているDSソフト「DS文学全集」に収録されているので、電子媒体で読もうかな。

よろしければサポートお願いします!