親愛なるマッドサイエンティスト
先日、「シュタインズゲート」グッズのマグカップを買った。作中に登場する「未来ガジェット研究所」の名前とロゴがかかれている。カップコレクションがまた増えた。これはしばらくは飾る用かな。
シュタゲは僕の中でも指折りのお気に入り作品。もとからタイムトラベルとミステリーが好きな上に、魅力的なキャラが加わると、それは勿論好きになる。
ちなみに僕のnoteでもお読みいただいている回数(PV)が多い記事の上位に、シュタゲへのエッセイがある。世間でもやはり人気コンテンツだからだろう。
未来ガジェット研究所というのは、いわばサークルのようなもの。
サークルへの憧れと、自分には合わないだろうという気持ちも既にnoteに書いたことがある。
よく言われるように、劇団は作るものであって、入るものではない。何か表現したいものがあるならば、サークルには参加せずに自分で行う方が早い。ゲーム制作のように一人でそれぞれのパートを行うのが困難であれば話は別だろうが、それでも同人であれば一人で制作している方を何名も知っている。
ところで、未来ガジェット研究所と聞けば、僕などは「フューチャーテクノロジー研究所」を彷彿とする。
これはユニバーサルスタジオ(ジャパン)で存在した映画「バックトゥザフューチャー」のアトラクションで、ドクが設立したという独自設定の研究所。8人乗りデロリアンタイムマシンを製作したとか。
こちらもやはり、世間に通用する研究所とは異なり、ドク・ブラウンのための研究所に他ならない。所属研究員は単なるスタッフである。
そこも、ある意味では未来ガジェット研究所における岡部倫太郎の立ち位置と似ているように思う。
つまり「ラボメン」は少しずつ増えてはいくが、未来ガジェット研究所を「サークル」と捉えているか機関への対抗装置のように捉えているかは、大きく異なる。
つまるところ、サークルにリーダーが存在するならば、やはり独裁的なところは多分にあるだろうし、マッドサイエンティストであるならば必要条件ですらあるのだろう。
僕は小説を日頃書くけれども文芸部に所属した経験はかつて一度もない。その辺りに既にひとりを良しとしていた萌芽を見出す。
そもそも僕自身、幼いころにはマッドサイエンティストには憧れていた。
錬金術を調べたり、ホームセンターで三角フラスコなどを購入したり。当時仲の良かった友人が、とある事案を経て骨折した時は、なぜか自身の正体を明かさず「親愛なるマッドサイエンティスト」とメモを添えて、友人が好きだった飲み物を置いておいたこともあった。
ちなみに、特にお礼も言われていないので、あちらの親が事前に捨てたか、誰か分からなかったか。無論、どちらでも構わない。だからこその「マッド」。
様々な過程を経て、僕はあえて表現するならば「文系」となった。サイエンティストとしての活動実態は当然ない。
しかし、時折、宇宙について勉強したり、未だに僕の中には存在しているのだろう。
何かを分析する、という意味では批評を投稿してみるのも、ある意味では近世的な意味合いで科学者らしい。
マグカップやティーカップとしてコレクションしたいのは、フィギュアを並べるのと同じように、それが僕の思想や自分史を具現化しているから。
単なる視聴経験ではなくて、生き方として生活に馴染んでいる。
心はこれからもマッドサイエンティストなのだから。
この先もそのような影響を受ける作品と出会えるかは分からないけれども、知ることができたならば、またグッズを部屋にひとつふたつ並べることだろう。
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