私の子は、お米が嫌いな日本人
これは、私の愛しい食べない子の話
「息子ちゃん、しらす好きだからこれだけ食べるー」
もうすぐ3歳になる息子はそう言うと、白いご飯に混ざった白いしらすを器用に見つけ、小さな指で摘まみ上げて口の中に放り込む。
「いえいえ。下のご飯も一緒に食べてくださーい」
私は自分の食事を中断し、彼の使っていないスプーンでしらすとご飯をすくう。
「えー。しらす食べたいー」
「ご飯も一緒に食べると美味しいですよー。はい、どーぞ」
むー。と不満げな息子は、しらすだけをどうにかして取ろうとする。
が、上手くいかないと分かると、諦めて小さく小さく口を開けた。
「お口、ちっちゃ!!!」
私が笑いながら言うと、息子もつられてケタケタ笑いながら、今度は口を大きく開ける。
「いいこちゃーん。はい、あーん」
「あーん」
2人で笑いあってご飯を食べる。それが、最近の我が家の食事風景。
だけど、こんな風に笑いながら息子にご飯をあげる日が来るなんて、思い描けない時期があった。
『息子がご飯を食べてくれない』
その事に悩み苦しみ、もがいてた、あの頃。
≪食べない子≫
今日は食べてくれるかな。
そんな淡い期待を込めて、お米の粒が見える状態のお粥―7倍粥と呼ばれるご飯を、8ヶ月になったばかりの息子の口に運ぶ。
小さな口はスプーンを近づけるとすんなり開く。
が、口の中に入ってきたのがお米だと知ると、息子はあっさりと舌で押し返してきた。
「ああ・・・・今日もか・・・・」
分かっていた。
分かっていたが、この挫折感は慣れない。
離乳食を5か月から始めて、どうも食いつきが悪いな、と思っていたが、騙し騙し続けて3か月。
食材の形が少し残る、いわゆる離乳食中期の食事を出すようになると、息子は拒否する事が増えていった。
食べること自体に興味が無い、というのもある。
しかし、そもそも、息子はお米が好きではないようだ。
その証拠に、お粥は口に入れるだけで押し返してくるくせに、
うどんやパンといった小麦粉系の食べ物は、量こそ食べられないが食いつきは良かった。
じゃあ、小麦粉食べさせりゃいいじゃん。
そう思う人は多いかもしれない。
けれど私は、お米を積極的に食べて欲しかった。
それは、保健所で言われた、ある言葉が私の心をきつくきつく縛り付けていたからだ。
≪お米の国に生まれたので≫
あれは、2回食が始まり、離乳食作りに大慌てしていた頃だった。
その日は、自分の作る物はこれでいいのか、息子の食の細さが不安で、といった事を相談しに保健所の栄養相談を訪れていた。
「これ、昨日の献立なんですけど、栄養バランスとか不安で。あと、子供の食が細いので少し心配です」
年若い栄養士はふむふむと、昨日の食事内容のメモを見つめる。
「そうですね。栄養バランスに問題は無いです。よく作られてると思います」
「そうですか!良かった。本とか読んでもイマイチ不安で」
誰かに認められる、という経験がすっかり無くなっていたので、思わず声が華やぐ。
そんな私の胸中を知ってか知らずか、その人は更に言葉を続ける。
「昨日は、朝はパン、夜はうどんですか」
「ああ・・・うちの子、どうも小麦の方が食が進むみたいなんです。なので、昨日はご飯を食べさせなくて」
本当に、気軽な気持ちだった。
米よりパン派。
大人の女性なら割とそういう人はいる。
だから全く、不安なんて抱いていなかった。
この時までは。
「お母さん」
栄養士はゆっくりと、のほほんと笑う私の顔を見据える。
「お米の国に生まれたので、お米は1日1度は必ず食べさせてください。成長してから困るのはお子さんですよ」
そう、断言した。
何言ってるんだ。
昨日は食べてないというだけだ。
息子にお米を全く食べさせて無いみたいな、そんな脅すような言い方はやめてくれ。米が余るのが勿体ないんだ。
そう、今なら鼻で笑って言い返せる。
しかし、新米子育てママで何かしら不安で調べ物が欠かせない、
当時の私にとっては、プロの栄養士の発言は絶対で、縛り付けるには十分過ぎた。
息子が食べてくれるから、麺やパンを頻繁に出していたけど、それは間違った事なのか。
お米好きに矯正しないと、息子は将来困ることになるのか。
お米が嫌い。
ただそれだけで、この子はこれから先、苦しみを経験するのか。
その、彼の苦しみを作るのは、母親の私。
目眩がした。
我が子の幸福を願う母親にとって、これ程の呪いの言葉、あるだろうか。
≪食事が嫌いな子へ≫
『何とかお米を食べさせなければ。いや、好きになってもらわなければ』
けれど、そんな気持ちなど知りはしない息子は、私が必死になればなる程お米を食べるのを拒否した。
その回数が多くなるにつれ、食べる量がどんどん減った。
1歳になる頃には、『お米が嫌いな子』から、『食事が嫌いな子』になってしまっていた。
断乳した途端食べるようになった。
そんな噂を聞いて、藁にも縋る思いで先月断乳したのに、一向に食事量が増えない。
(このままじゃ危険だ)
息子の栄養失調の可能性を危惧し、何とか食べ物を食べてもらおうと、食いつきが良いホットケーキミックスに色々な野菜を混ぜ込んでは焼いた。
マフィン、ホットケーキ、蒸しパン、パウンドケーキ。
ホットケーキミックスの味で誤魔化されるので、味にそれほどの違いは出ない。が、口触りが違うと飽きないものだ。
唯一食べてくれるコレだけは、飽きさせる訳にはいかない。
そんな必死な思いが詰まっていた。
≪苦くて痛い食卓≫
その頃になると、外で食べさせる機会は途端に増える。
児童館でそれを食べさせていると、他のママ達には珍しく映り、声を掛けられることが多かった。
「毎回手作りして、凄いわね」
筒状になったおにぎりを食べさせながら言うママ達に、曖昧に頷きながら
『いやいや、おにぎりを嬉しそうに食べてるあなたのお子さんの方がよほど凄いよ』と内心思う。
(この子は、いつになったら他の子と同じようにお米が好きになるんだろう)
他の子と同じようになれば、この子の幸せに繋がるのにな。
作った蒸しパンを頬張る我が子を眺めながら、ぼんやり思う。
幸せな未来を願って、食べないと分かっている料理を作り、ゴミ箱に山積みにする。
1回の食事を終わらせるのに1時間以上かかる。
そんなのは、我が家では普通だった。
あまりのご飯の食べなささを嘆いたら、『あなたの作るご飯が不味いからよ』と言われたこともある。
そうかもしれない。
けれど、ベビーフードも外食も拒否する我が子の食べる物は、私の作るものだけだ。
私にとっても、息子のとっても、もう『食事』は苦痛が伴うものだ。
食べないと分かっていて用意したものを無駄にされるのは苦痛だ。
食べられないものを毎回用意され、強要されるのは苦痛だ。
毎日、毎食、私は子供に苦さと痛みを与え、それを食べろと強要する。
そんな日々が、なんと1歳8ヶ月になるまで続いた。
≪アンパンマンのふりかけ≫
「息子さん、アンパンマンのふりかけかけてみよっかー」
白いご飯に、アンパンマンの顔を象った小さなかまぼこが幾つか散らばる。
最近、息子はアンパンマンが大好きだ。
かけた所で息子はアンパンマンだけに興味を示し、それだけ啄んでしまう。
が、ご飯自体に興味を示すのはいいことだ。
「あんぱん!」
息子はご飯の上のアンパンマンを見つけ、喜びの声を上げる。
「そうだよー。アンパンマンだよ」
アンパンマンのテーマソングを歌えば息子はご機嫌だ。
そんな彼につられて笑いながら、スプーンにご飯をすくって、アンパンマンの顔をその上に乗せる。
「息子ちゃん、僕の顔をお食べよ!」
下手な声真似。
いつもそんな事をやっては、虚しさを紛らわしてる。
しかし、今日の息子は、ケタケタ笑うと差し出されたスプーンをぱくり、と口の中に入れた。
もぐもぐと咀嚼されたそれは、もう外へと押し出されてこない。
(あ。食べた)
あまりに自然だったので、反応が遅れる。
恐る恐るもう一度子供用スプーンにご飯をすくい、その上にアンパンマンの顔を乗せる。
「…息子ちゃん、もう一度、僕の顔をお食べよ」
スプーンを握る手も、愉快を装った声も、震えてしまう。
そんな私に、息子は気づいてしまうかも。
そしたら、また元に戻ってしまう。
そんな私の様子を気にもせず、「あい」と素直に返事をしたので、
ぱかっと開いた口に、恐る恐るスプーンを差し込んだ。
もぐもぐもぐ・・・・・
しばらく噛み、静かにごくん、とそれは飲みこまれる。
「・・・・・・・・・・食べた」
間違いない。
今、まさに、息子はお米を食べた。
2口も、食べた!!
「………食べた!食べた!食べた!!!
ようやく、食べてくれた・・・!!!」
思わず食事を中断し、息子の頬を撫で、ぎゅーっと抱きしめる。
安堵と歓喜の渦が全身に溢れて止まらない。
(ああ。私、こんな風にあなたと、笑ってご飯を食べたかった)
宥め、怒り、泣いてたけど、ただ1つ、笑うことだけは忘れてた。
ずっとずっと、忘れてた。
お米嫌いでも、いい。
他の子と同じじゃなくても、いい。
今まで私を縛り付けていた鎖は、その日を境にぽろぽろと崩れ去っていった。
≪私の愛しい『食べない子』≫
子供が苦労すると言われた未来があれば、それを回避したいと思うのは親心だと、私は思う。
でも、転ばぬ先の杖になろうとして、私は大事な事を見失っていた。
『お米が嫌い』
それは、息子が生まれ持って来た好みで、個性と言い換えられるものだったのだ。
お米嫌いだなんて、日本人なら苦労する。
そんな言葉が、考えが、アレルギーではなく、単に好き嫌いだから矯正できると拍車がかかった。
息子が発し続けるメッセージを耳を塞いで、「他の子と同じように」と許さずにいた結果、私の息子は『食べない子』になった。
私が、彼を『食べない子』にしてしまった。
今、私が大事にしていることは、息子と楽しく食卓を囲む事。
2歳近くまで失わせてしまった、食事の楽しさを共有する事。
今でも彼は、お米が嫌いだ。
しらすご飯も、大半のしらすを食べたと判断したら残してしまったぐらいに。
彼の個性を許容することは、将来の彼の苦しみに繋がるかもしれない。
それでも私は、今の彼と笑って、食卓を囲みたい。
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