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いきむって何だ!?(前編)

#出産の話 。不安になりそうな人はここで退避してください。





出産予定日を控え、私は入念に準備していた。
ウォーキングは雨の日以外1時間半欠かさず行い、
リラックスして出産できる呼吸法のCDで出産のイメージトレーニングをする。
全ては、出産の痛みを少しでも減らす為だった。

私は怖がりだ。
出産を象徴する痛みの表現数々に、子供時代から恐怖を感じてきた。

痛いの怖い。
痛いの嫌だ。

いや、痛いのが好きな人なんて特殊な性癖だ。誰だって痛いのは嫌なはず。
好きで鼻からスイカを出したい人はいない。

本当は無痛分娩にしたかった。
けれどここは田舎。
ペンギン村よりど田舎な実家で出産を選んだ時点で、無痛分娩という選択肢は消えた。
だが幸いにも選んだ産院は、「ソフロロジー式分娩」の方針を取り、出産に対する痛みをできるだけ和らげましょう、という方針だった。

≪ソフロロジー式分娩≫
リラックスした状態での出産を目的とした出産方法。
妊娠中からイメージトレーニングと「ゆっくり吐く呼吸法」で、出産に対する不安や恐怖を減らす、とされている。

呼吸法のCDもそこで渡されたもので、私は縋るようにそれに飛びついた。

そのCDは言った。
「出産に対する痛みは、母体が緊張することによるものです。リラックスして、出産時もいきまないようにしましょう」

ふむふむ。
いきまないようにね。
いや、私は今までいきみたいと思ったことが無いので、いきむってどんな感じかわからないんだけど。
  
いきむって何だろう。そんな疑問を持ちつつも、とりあえずCDを聞きこむ。

「赤ちゃんが出てきそうになっても、いきまないようにしましょう。その為にはイメージトレーニングと呼吸の練習をしましょう」

ピアノの練習も真面目にやらなかったが、今までに無いぐらい真面目に毎日欠かさず練習する。それはもう必死だった。

すーはーすーはーはっはっはー

うむ。完璧。
これ程の呼吸法ができるのは、もうジョジョの世界にしかいないだろう。

(するっと安産でお願いします!!!)

心の底からそう願い、臨月に入って一気に大きくなったお腹を撫でた。


***


忘れもしない、6月15日の朝。

目が醒めると、腰の辺りに違和感があった。
微妙な、ともすれば気のせいかと見過ごしてしまうぐらいの小さな違和感。

懐かしの生理痛にも似た不快感。
それが、不規則に続いてる。

(なんだこれ)

完全に目が醒めた。
となると、トイレに行きたい。最近特にトイレが近くなった。

足早にトイレに行くと、更なる衝撃が走る。

(お、おしるしだー!!)

≪おしるし≫
お産が近づくと、少し子宮口が開いたり子宮が収縮したりすることによって卵膜がはがれるため、少量だが出血する。それが粘液と混ざって出てきたもの。出産する兆候と言えるもの

ネットで見た。これって、出産する日に出るやつだ。

(どどどどうしよ。どうしよ)

ドクドクドクと、心臓が次第に早打ちしてくる。

いや、いや、落ち着け自分。あんなに毎日歩いて、呼吸は完璧。
イメージトレーニングはばっちりだ。
しかも私は初産。
今日生まれるとは限らない。予定日は1週間後だし、なんかちょっと生まれそうな雰囲気を醸してるだけ。きっとそう。

とりあえず、遠方の夫に陣痛っぽいものがあることを伝え、然し初産だしすぐには生まれないと思う旨を伝える。

幸いにも今日は検診の予約日だ。
お医者さんに診てもらえば分かるだろう。




「うーん。まぁ、陣痛は微弱にあるみたいだけどねぇ…」

NSTの結果を睨みながら、医者は唸る。

≪NST≫
ノン・ストレス・テストと呼ばれるお腹に巻いて陣痛を測る機械のこと。巻いて測ってる間じっとしてなければいけないので暇

「とりあえず、診てみよっか。子宮口の様子診るから、ちょっと痛いよー」
「え。あ、はーい」

痛い?
そう言ってあんた、前回も結構いたかったんだけど。
まあ、耐えられないことも無いか・・・。
うん。ちょっとね。ちょっと…ちょっと……ぐ…ぎ…ぐあ#@&☆×××!!!

ちょっとどころじゃない痛さに悶絶する。
しかも長い。結構長い。ぐりぐりぐりぐり満遍なく様子を診てる。
やめてくれ。ちょっとって言っただろ。ちょっとどころか、これは私の人生トップ10に入る痛さだ。
出産じゃ無いのに。出産じゃ無いのにぃいいいい!!!!!

「子宮口そんなに開いてないから、今日生まれるか分からないなぁ。
だから家帰っていいよ。ただし、遠出はしないでね」

そう言われて病院からの帰り道、母に運転してもらいながらの助手席で、私は完全に心が折れていた。

(出産、大丈夫かな……)

未だに不快感は不規則に続いてる。
強くなってるわけではないが、それでも不安は増してくる。

家に帰って、もそもそと昼食を食べ、犬をひとしきり撫で回して不安を紛らわす。 ついでに、先ほどの心の傷も癒してもう。

「しゅんちゃん、赤ちゃん産まれてきたら仲良くしてねー」

犬-しゅんたに、そんな呼びかけをしていると落ち着いてきた。
大きなお腹にはすはすと頭を擦り付けてくる愛犬は、ここに子供がいるなんて分からないだろう。仲良くできればいいのだが。

(うん。大丈夫)
私には培ってきた呼吸法があるじゃない。
いきまないこと。それが重要だと。

(寝よう)

ここ最近は胎動が激しくてゆっくり眠れない。
特に昼食後は耐えられないほどの眠気が襲ってくる。
リビングにいる母に寝室で休むと伝えて、「何かあったらすぐに言うのよ」という言葉を背中に受け、寝室の扉を開ける。

(寝たらきっと無くなってるだろうな)

予定日まで一週間あるし。そんな急には生まれないだろう。
そう思い目を瞑ると、割とあっさり眠りは訪れた。


***


どのくらい寝てただろうか。
1時間?2時間?それとも30分?

次第に明瞭になる視界とともに、はっきりと意識する、腰の不快感。

(強くなってる…)

念のために陣痛アプリを起動して、間隔を測る。

5分、13分、15分、8分…… 17分

バラバラだ。
確か、間隔が10分以内になったら病院に電話しろって言われたけど、これじゃまだ電話できない…

(一応、母に声をかけよう)

病院まで送るのは母だし。急に声を掛けられても困るだろう。
扉を開けてリビングに居る母に声を掛ける。 が、いない。

リビングはがらんとして、薄暗くて、人気が無い。
しかし外出では無いようで、耳を澄ませばシャワーの音と、犬の…そう、しゅんたの鳴き声が聞こえてくる。

(犬、洗ってる)

晩年になったしゅんたは皮膚病を患い、週1の薬用シャンプーの塗布が欠かせなくなっていた。
そして、なぜか、母は私が陣痛っぽいものが続いてると伝えたこの日に、今まさに陣痛真っ盛りのこの時にしゅんたを洗ってる。 
しかも…

『ヴー。ギャンギャンギャンギャーン!!』
『こらー!!誰に吠えてるのー!!』

だめだ。取り込み中だ。
今浴室に行って、『3分間待ってやる』と言っても、しゅんた洗い終わって、乾かしてって、終わるまで30分以上かかる工程だ。
3分どころの話ではない。

≪3分間待ってやる≫
天空の城ラピュタの名台詞。実際は50秒しか待ってない。

そっと扉を閉め、再びベッドに横になる。
なんだか、痛みがますます増してきた気がする。

耐えろ。耐えろ自分。
耐えろしゅんた。私は今、痛いほどお前の気持ちが分かる。

聞こえてくる犬の鳴き声と母の声。
それをBGMに、焦燥する気持ちとは裏腹に、ひたすら陣痛アプリを打ち込む作業に集中する。
しかしこのときまだ私は分かっていなかったのだ。
これから先、更なる苦難が待ち受けていることを。



≪続く≫

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