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休暇、とってみた。

過去の振返り

定年が近づいてきて、
有給が溜まっていたので
一括で取得してから
定年を迎えることになりました。

「なんだ当たり前じゃん」と
思われるでしょうが、
私にとってはとても新鮮でした。

というのも、転職の機会は
これまで2回あったのですが、
転職前に有給休暇を取得
することができなかったのです。

最初の転職は
いわゆる出向というもので
それまでの勤め先の最終出勤日の
翌日が新しい勤め先の初出勤日でした。

ここでは有給ゼロです。
これはよくある話かもしれません。

それで次の転職機会ですが
ここは自分で転職しようと考えたのですが
とっても、


辞めづらかったのです。


人が不足しているというのも
ありますが、根本的な原因は
その時の会社の体質や体勢によるものです。

入りやすいけど、辞めにくい会社でした。

引き継ぎ書もきっちりと作成し、
2ヶ月に意思をお伝えし
引き継ぎの期間も設けました。

それで、
その時の状況から
有給休暇は消化することなく
退職することになってしまいました。

もちろん、次の勤め先も
決まっていなかったので
大変でした。


今。

そして今回なのですが、
今回は定年退職です。

定年前の転職も考えたことは
ありましたが、
いろいろと考えて
定年をもって辞めることにしました。

その時の心情についてはこちらで
書いております。
もしよろしければ
読んでみてください。

定年を迎えた会社は
いわゆる円満退社で
社長からも「また遊びにおいで」との
言葉をいただきました。

それで取得することになった
有給休暇は約2ヶ月弱ありました。

それで、まず考えたのが
妻への御礼でした。

どんな形か。
それは一緒にいることと
希望を叶えることでした。

若い頃なら
即、海外旅行に食べ歩きやショッピング
となったかも知れません。

しかし、現実は
通院の付き添いでした。

妻は私より若いです。
ですが、複数の病院に通っています。

それで、車で連れて行ったり。
一緒に電車に乗って行ったり。と。


もちろん、遊びの時間として
旅行にも2度行きました。
妻は旅行の行き先も自分で決められないので
意向を聞いて、こちらで全て計画・手配しました。

そして、休暇が終わるころに
振り返ってみると
妻の時間は多くの時間が
体のさまざまな部分の治療のための
通院に費やされていました。

食事は一緒に作ることが
習慣になりました。
その他の家事についても
負担することがあたりまえとなりました。

妻には感謝されましたが、
それが定着してくると、
妻がひとりでするには
苦労がいるようでした。

体がどうこうというより
あらゆるものに対して
意欲がないというか
気力が落ちている感じです。

但し、韓国アイドルの推し活以外は。
これはたとえ海外でも飛んでいきます。

未来

通院については
年齢を考えると仕方がないのかも知れません。

実際、行った先の病院は
似たような年恰好をしたひとが
たくさんいました。

しかし、ここで私が考えたのは
今日以前の5年前はこのような
状況ではなかったことでした。

おそらく、この先5年後は
さらにあちこちと悪くなっている
のではないでしょうか。

それは、この私も
同じかも知れません。

そう考えると、
やっぱり自分の時間の使い方や
時間を使う対象について
よく考える時期が定年の年
あたりなのではないかと思います。


私は幸い、
いまのところ
通院はしていません。

しかし、これから先は
わからないので、
自分のやりたいことは
先延ばしせず
積極的にやっていこうと
改めて思いました。

そういったことを
考えながら過ごしていた
休暇ですが

ご縁があって
定年日の翌日からの仕事が
決まりました。

それについては
また改めて
noteに書こうと思います。

みなさま妻を大切に。

最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
みなさまとのご縁に感謝。

これからも書くことを
続けます。



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