政治や暮らしについて②-貧困問題と家庭の問題1

JKカフェで働く女子高生の理由

少し前、ネットニュースでこのような記事を目にしました。
摘発されたJKカフェで働いていた女の子の理由は
「学費を払うため」
という衝撃のものでした。

私のTwitterをご覧の方でしたら散々書き散らしているのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、私も貧困家庭に生まれ、専門学校に進学するときは奨学金を受けて進学しました。

実家が地方の漁師という不安定で低収入な職業でしたので、親は私が漫画家になりたいというと安定した職業に就いてほしい(具体的に小6で公務員希望と言われた)と言い、冗談では漫画で億万長者になって楽させてくれと言っていたものです。

中学生の頃、漫画家を目指すので高校に進学したくないと最初私は言っていたのですが、親は高校だけは出てくれと言っており、友達も進学するし古典も勉強できるからいいか、位のノリで行きました。
そこで専門学校という存在を知り、進学したいとなるわけですが…

今のご時世高校まで出ていないと職が選べない

これは大抵の方が理解できると思います。
派遣社員になるにしても、「要高卒」と書かれていたりで、これは親に素直に感謝しています。

ぶっちゃけていうと、もういっそ高校まで「選択できる」義務教育にしてもいいのではないかと思うのです。
それが実現されていれば、先述の女子高生も高校の学費を払うために風俗業を選ぶという選択には至らなかったでしょう。
何故「選択できる」にしたかというと舞妓さんなど特殊なお仕事もあるからです。
要は、本人の意思で未来の職業や道筋が選べるようになる世界にならないといけないという事。


日本は何事につけ、変化を嫌い対応が遅れますがこれもその悪癖の一端だと思うのです。
憲法第九条のように国民の生命を脅かすような変えてはいけないものと時代の流れで生活に支障が出ていてすぐ対応するべき事は分けて考えなければいけません。

大抵の仕事の募集要項に「要高卒」と出ているのなら、国が早急に手配をするべきで、貧困が原因で最低限の学習に支障が出ているのなら負担を惜しむべきではないと思うのです。


貧困家庭と生涯年収

なぜ負担を国が負うべきと考えているか、もう一つ理由があります。
貧困家庭では教育に回すお金がない為に早期に就職をし、その結果生涯年収が低くなり、また貧困家庭を生む率が高いからです。

高卒の初任給と大卒の初任給が違うのは当たり前の事ですが、貧困家庭のAさんと裕福な家庭のBさんが大学進学を目指したとした時、Aさんにはまず学校に入る前から苦難が付きまといます。

アルバイトだけで賄えれば良いのですが、大抵の貧困家庭出身者が抱えるのが
「奨学金」
という名の借金です。

日本学生支援機構が育英会という名前だったころ、私は第一種と第二種を併用して借りました。
片方は無利子、もう片方は有利子というものです。

私の通う予定の学校は大阪の専門学校でしたので「自宅外・二年間」というものでした。
月に15万円程ありましたので、私はこれで授業料と生活費、マンション代を賄うつもりでいました。

しかし、ウチの親には問題がありまして、世間知らずの上過干渉という悪い癖を持っていたのです。

市から月3万円の奨学金を別途借り、私に学生マンション(基本親が払う/高い/固定電話付)に住まわせ、授業料の払い込み用紙を渡すように、バイトはするな、学業を優先しろと言いました。

そして、私が借りた奨学金は残して置き、後で返せばいいと訳の分からない事を押し付けてきたのです。

普通に考えたら借りて利子がつくのだから足りない分が出た場合親の借りた奨学金で補填すれば良い事なのですが、頑として私のいう事は聞き入れて貰えませんでした。


初めての一人暮らし

こうなると、今まで抑圧されていた私はだんだんと「親がそういうならどうでもいいや」という気持ちが強くなっていきました。

今まで我慢していた粗末な食事や好みでない服に嫌気がさしていた私は、好きだったV系御用達ブランドの服を買いに行くようになり、お弁当も作っていましたが飲みに行ったり友達とランチを食べたりライブに行ったり初めて修学旅行以外で友達と遊園地に行ったりと、やっと青春を謳歌することが出来ました。

しかし、親からの過干渉は相変わらずで、夜家の固定電話に出ないと携帯に鬼電が掛かってきます。
ここで地元で同じ学校に進学した友達の家で一緒に勉強する、というと安心するのでその手を使うようになりました。

二年生の夏、親からある電話が入りました。
お金が厳しいから授業料をそっちで払ってくれないか。奨学金を別で借りたけど厳しい」
という内容でした。

それ見た事か、と思った私は最初からこっちにくれと言ったのに、と言いました。
それに対する答えは何故か逆ギレでした。
あんたのせいで皆切り詰めた生活してるのよ、役にも立たない学校に行って!とまくし立てるように責め立てられました。

実は昔から理不尽に切れられたり殴られたりという事が我が家では日常茶飯事でしたので、電話を切ればすぐ話が終わりになる距離はとても有難く、私も言いたいことを言って電話を切りました。
母は全く私のいう事は頭に入っていないと分かりながらも吐き出さずにはいられませんでした。

学校に進学したのは、私にとっては親から離れるためでもあったのです。

そこから卒業まで、私は案の定自分で授業料を払うことが出来ました。
普通はここで就職し、親離れが出来、自立して奨学金を返済していきますよね。

しかし、父の束縛は私の想像の範疇を超えていたのです。


就職時期になって「脅された」

漫画を描き進め、友達と計画した持ち込みが終わったころ就職時期の10月がやってきました。
(この時、実は2社から名刺を頂いていたのだが担当さんが付いたという意味と知るのは10年後になる…)

ある日の夕方、珍しく父親から直接電話が掛かってきました。

内容はというと
「卒業後実家に戻れ。戻らないならマンションの契約を打ち切る」
という完全な脅しでした。

学生マンションでしたので親に支払いの義務があり、契約解除の権利は親が全て握っていました。
反対して他のマンションを借りるにしても、保証人も要りますしお金も必要です。
私はその時、全てを諦めました。

次第に何事にも身が入らなくなり、精神的にも追い詰められていっていたような気がします。

親というのは多大な影響を子供に与えるもので、監禁された人などが外へ逃げ出したというニュースが流れた時になぜああしなかったのこうしなかったのという人が良くいますが、精神的な支配というのは距離が離れていても出来るのです。
その身に絶望が沁み込まされていれば。

それからの記憶はかなり曖昧で、友達と飲んだり原稿を描いていたりした事、卒業旅行で友達と人生初のディズニーリゾート2日間を満喫したという事しか思い出せません。

全ての予定が終わった後、荷物をなんとかまとめて父と母に挟まれトラックで帰ったのを覚えていますが何とも言えない心境でした。

トラックで帰る道中、上機嫌の父は
「養ってやるから家で漫画を描けばいい」
なんて笑顔で言っておりました。

大阪編は以上。
長くなるので続きはまた後日書きます。

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