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『消失の惑星』


今年出会った本の中で、
あえて順位をつけるとしたら、これが1位です。

『消失の惑星』
ジュリア・フィリップス
井上 里 訳


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アメリカ人の著者がロシアのカムチャッカ半島舞台の物語を約10年かけて書き上げた、その本が日本の僻地に住む私の手に届く奇跡。
ありがとうございます。

翻訳が素晴らしくて
ここで生きる様々な立場の女の人たちの言葉にすることが難しい気持ちが、よく分かる。

この「訳者あとがき」がまたすごく良くて
作品への愛があり、理解が深く、小説に描いてあったことのいろいろが腑に落ちるのです。
今までこんなにじっくり「あとがき」を読むなんてこともなかったな。


そこからいくつか文章を抜粋させていただきながら、この本を紹介していきます。

舞台は
「社会主義から資本主義へ転換した影響を、ロシアの中でも特に色濃くのこしている」というカムチャッカ半島。
多くの地域が自然保護の対象となっており、人が住んでいる場所は極限られ、環太平洋火山帯に位置するため地震が頻繁に起こる。
カムチャッカ半島と本土をつなぐ陸路はない。

十三章の物語がつながり合い、最終的にはひとつの大きな物語になる構造で、幼い姉妹の誘拐事件によって幕を明ける。
各章でひとりずつフォーカスする女性たち、年齢も背景もばらばらな半島の女性たちの暮らしを立体的に描き出した。

犯人は一部の登場人物からは、無害で朴訥な青年として受け止められているが、犯行における慎重な手口と、入念に練られた犯行計画からは、頭の回転が速く冷酷な犯人像が浮かび上がってくる。
被害者の少女たちについて詳細に描くのではなく、こうした犯人像を全篇を通して少しずつ、詳細に明かしていくというスタイルからは、少女や女性が標的にされる事件に対する、フィリップスの慎重な姿勢が伺える。
女性が被害者となった犯罪では、加害者より被害者に注目が集まりともすると加害者より非難されるということがしばしばおこる。

カムチャッカ半島の陸路で本土とつながっていないというこの地理的な特性と、スラブ系民族と先住民族のコミュニティの間にある埋めがたい溝により、少女たちの誘拐事件や失踪事件の解決の「兆し」はなかなか見られない。



ここで描かれているのは、
例えば


・女子学生のオーリャ 。
母子家庭で、母親は日本語のツアーコンダクターで出張がちだがとても楽しい人。
距離をとられはじめた友人の母親(家庭よりも優先すべきものはないという考えの)が、彼女とその母親を嫌っている。その憎しみに理由はない。オーリャと母親が自分たちの力で生きていることが、ただ気に入らないのだ。

・30代半ばのカーチャは恋人になったイケメン、マックスの見た目が好き。しかし周りからの評価も低い彼の行動がずさんでダメなところにいらいらしている。二人で森にキャンプに行き、マックスのミスで車で寝る羽目になった夜に起こった、ヒグマとの遭遇で二人の関係が大きく変化する。

・サンクトペテルブルクで成功している疎遠になっていた幼馴染の女の子マーシャに大晦日のサウナパーティの場で再会した、地元のホテルで働いているラダ。パーティでの男たちの言動から、この田舎の土地での同性愛者嫌悪の根深さが描かれている。



・白人の青年と遠距離恋愛をしている先住民族の大学生クシューシャ。
恋人の過剰な干渉を愛情として受け止めながら、新しい出会いの中で、自分は幸福なのだろうかと自問する。

・育児に疲れたゾーヤ。すべてをあとに残して半島を出て行くことを夢想しながら、半島の外からやってきた移民の労働者たちを眺める。


・高校を卒業する前に娘ミラを生んだナージャ。
自分を捨てていった男たちにも、閉鎖的な生まれ故郷にも深く失望しながら、その失望を両親にさえ話さない。
銀行のマネージャーに昇格して給料も上がり続けて、仕事はとても順調な彼女は、内縁の夫のとこをを出て最愛の娘と二人でやっていくことを考えながら、生まれ故郷に一時帰ってきている。



「最愛の娘。誰もがナージャに何か言いたがる。疑いを口にし、小声でつぶやく。
だが、この娘を見るがいい
ミラの長い脚を、丸いお腹を、小さな爪を、生え際のやわやかな髪の毛を。
ふっくらした頬が目立つ横顔を。口の両端が頬に隠れる笑顔を。
ナージャがミラにしてきたことを見るがいい。これかミラにしてやるだろうことを見るがいい。」

ナージャの生きる喜びは、娘だから。この幼い子の未来だから。


彼女は決意をする。戻る という。


誘拐事件発生後の章に描かれるのは

姉妹とその母親を襲ったような、明白で暴力的な苦痛ではない。
どちらかというと、確かにそこにあるにもかかわらず、日常生活ではほとんど口に出されることもなく、もしかすると本人も言語化することさえ忘れてしまっているような苦しみのことだ。


カムチャッカ半島と日本には地理的な共通点がある。その地理的な共通点以上に、ここで描かれる十二人の女性が経験する苦しみ、そしてその苦しみとの向き合い方、その存在に気づきながら、それについて語ることを常にためらう は、ここで暮らす多くの人達のそれと、もしかしたら非常に似ているのではないだろうか。



母親にとって、子どもがいなくなる、どこにいったのか分からなくなる、あてがないのは、例えそれが短い時間であっても地獄です。
その共感できる「恐怖」がベースにあり、そして、各章の女性たちの思うこと、語ること、「分かる・・それ分かる」のポイントが絶妙です。

この本は、この先もまた何度か読み直すだろう一冊になりました。

読みたい本だけをリクエストして借りるようになっていた昨今、
この本は、ある日図書館で”ジャケ買い” みたいに、装丁に魅かれて手に取ってたまたま出会った本でした。こういうことがあると、来年もまた、本とのいい出会いを楽しみにできます。

『消失の惑星』

ちなみに、自分の好きな映画1位は未だに『恋する惑星』

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