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誤解は解かなくてイインダヨ!

昔は自分自身も「誤解は解かねばなるまい」と思っていました。
昔、ほんと、ここ数か月前までは。

いろんなことがあって考えた結果
「誤解を解く努力は無駄かもしれない。」
と思うようになりました。

どういうことか。

誤解の意味を辞書で引くとこう書いてあります。

ご‐かい【誤解】 の解説
[名](スル)ある事実について、まちがった理解や解釈をすること。
相手の言葉などの意味を取り違えること。思い違い。
「誤解を招く」「誤解を解く」「人から誤解されるような行動」

誤解を[する]のは相手であって
結局のところ自分の言動がどうあったとしても
誤解をされないかどうかなんて自分の力ではどうにもならんのです。

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誤解をされたときは解きたくなる気持ちはわかります。
でも相手の目に映っている自分が「誤解されている姿」だとすれば
いくら解かないと、と奮闘しても仕方がないと思うわけです。

結局、人って他人を見るときに無意識で
自分の作った色眼鏡をかけているんだと思うんですね。
そうだとすれば。
自分がいくら努力したところで相手の色眼鏡を外すなんて
よほどのことがない限り難易度が高いと思いませんか?
私は思います。

その人の他人に対する判断基準って
その人が生まれていろんな人とかかわって培ったものであって
途中からしか関わらない人が変えられるものではありません。

私にも「こういうタイプは好きではない」という色眼鏡があって
それこそ「よほどのこと」があれば好きではないタイプの人のことを
「その人のことだけは」好きになることはあるんですけど。
実際には「好きではないタイプの人」が行った言動が
やっぱし好きではなかったときに
「は~やっぱしね☆」って思うことってあるんですよ、むしろそれが普通。

だから「誤解をされるとき」って相手の色眼鏡に
自分が引っ掛かっただけで、自分の言動をどうにかして
相手にわかってもらおうっていう努力はぶっちゃけやっても無駄だと思うんです。

本来は好きなはずの人が自分の中で近い出来ない行動をしたとき
私だったら「なんで?」って尋ねます。
だから誤解をしてしまったときに「なんで?」
と聞いてくる人の中での誤解だけ、丁寧に解いたらいいんだよって思いますた。

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