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ペス山ポピー「女の体をゆるすまで」感想。貴方の自分語りは「救い」にはならない【酷評】

下書きを見返したらこんな文章が残っていた。
約一年前に書いたけど、酷評だし、作者を傷つけてはいけないと思ったからお蔵入りにしていた。しかし、本作は今でも納得いかないので改めて投稿してみる。
スピリッツ編集部に届いて欲しい。

読み終わったので感想を書く。
一部、内容への厳しい意見もありますが、個人の感想ですのでご了承ください。
自己満足のために言語化してみますが、不快に思われそうな方は速やかに「戻る」ボタンを押してください。

本作品はXジェンダーである筆者が、アシスタント現場で有名漫画家からされたセクハラの記憶を皮切りに、幼少期から感じていた自身の女性性の違和感と周囲の不快感を追憶する実録エッセイである。

○前作「泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」の思い出

永田カビ「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ 」が異例の大ヒットをしたあと、すぐに、似たような絵柄と似たような装丁で、ペス山ポピー氏による「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」(以下、「ボコ恋」)が書店に並んだことを覚えている。

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当時、その性癖をあけっぴろげにするエッセイにどきまぎした私は、書店でどちらの本も購入した。

発売当時(2018年)は質問箱が流行り始めたころで、ペス山ポピー氏のTwitterには「私も○○の性癖をもっていて~、」という共感の声や相談が集まっていた。
一つひとつの質問にペス山氏がまじめに応対していて、そこだけで一つのピアができていると思っていた。

しばらくすると、Twitterには「本(ボコ恋)が売れない」などの不穏なツイートが目立つようになる。
何度か質問箱で口論をしていて荒れている様子が垣間見れたが、気付けばアカウントごと削除されていた。メンタルが強くないことは本を読んで知っていたので、SNSから逃亡したんだな、と思った。

その後ひっそりと「ボコ恋のその後」を描いたエピソードが投稿されていた。

そこには、本編ではドラマチックに描かれた元彼氏との別れが、実は性格の不一致という陳腐なものであったことが明かされた。

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このとき、私は「この作者を信用してはいけないんだな」と思った。

自分が書いたことを数年後に簡単に覆すことが出来る人だと思った。
裏切られた気持ちになった。
エッセイに嘘や秘密を織り交ぜるなら最後まで隠し通してほしい。
数年後に「実はこうでした」とけろっと明かすのは、作品を読んで信じていた読者に対して失礼なのではないか?

今後この人の作品を読むときは、情報を隠されているのを前提として読むことになるんだろうな

そんな中、彼女の復帰作と言える3年ぶりの新作である。

○「女の身体をゆるすまで」の感想

ペス山氏といえば、心情の比喩表現が映画的であるところが魅力だ。

「ボコ恋」ではラストシーンに見開きで海を書いた。情景と、自分の心情を織り交ぜるこの一枚絵は天才だと思った。
今回も、有名漫画家に触れられて身の毛がよだった瞬間を表す表現もすごかった。

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しかし、最後まで通すと、本作は「生きづらさ」をテーマにしているが、誰かの「救い」となる作品ではないなと思った。

ペス山氏は自分の身に起こったことを、すぐに「理由付け」する。 
先ほどまで「理由が無い」心情描写を掘り下げていたのに、すぐに自分の経験を俯瞰してみて「○○だったから○○だったんだ」と結論に急ぐのだ。

同様の内面を掘り下げるエッセイを書く永田カビは、どうしようもない感情と向き合い掘り下げながらも、結論は明確に見つけられないまま、それでも生きていくしかないという選択をしていて、読者に力を与える。

もちろんふたりは別人なので、比べる必要はないと思うが、こうした内面を描くエッセイならば、ただありのままのを描くことに終始して、感想を読者に委ねる方が私は好みと感じた。

この違和感は何だろう、と思っていたら、文筆家・石山蓮華さんがこんな風にインタビューで答えている記事を拝読した

エモい文章って、たとえば「心身の状態や環境がつらい」とかの、言ってしまえばこう、一段階落とした状態から「こんな教訓を得た!」って上がる、みたいな構造があるじゃないですか。その落差の大きさから「エモさ」と呼ばれるものが生まれるのでは? って。ただやっぱりその中に、本当はもっと精査されなきゃいけないものがあるはず
「気づき」までが早いんですかね? 「設定された気づき」というか、その存在はテレビ番組でレポーターをやっていたときにも感じていたんですけど。テーマとして決められた「気づき」を得るために人から話を聞いて、欲しい言葉がきたら「へえ〜、気づいた!」って感動してみせる、みたいな。

ペス山氏も、「気づき」までが早いのである。
あくまでも「気づき」ありきで書いていることを、「エモさ」で包み込んで出されたような本なのだ。

本作の中で描かれたセクハラは酷いと思ったし、そこから加害者と対話してかみ合わない描写は、胸がえぐられる思いだった。

しかし、それをペス山氏が回顧して、理由を付けて解説するスタイルは、読者に思考の余地を与えないものだ。
ちなみに、前作も今作も、結論は「セクシャルマイノリティを自認した」であった。しかし、彼女が辛いと思うことは、女性でも男性でも、どんな人間でも感じるものである。
彼女は「私だけがつらかった」といわんばかりである。

香山リカは「病名をつけてもらうことで、自分の生きづらさが病名のせいなのだと安心する人もいる」と書いていた。ペス山氏の場合は病名ではなく、「Xジェンダー」という気づきだったが、その性質で生きづらさを帳消しするのは早急だろう。

○泣きわめく声を聞いても勇気にはならない

たとえば、ゲイバーのもちぎさんは自分が「ゲイ」であることをカミングアウトしているし、「2丁目」というカルチャーで生きているが、自分が生きづらい理由を「ゲイであるから」と結論づけたことはない。あらゆる人にとって生きやすい優しい世界を祈っている。

だから、ゲイではない私たちでも、「生きづらい」という面で共感ができ、勇気がもらえるんだと思う。

一方、ペス山氏のコミックエッセイは「Xジェンダーであるせいでこんなに大変でした!!」という演説のようだ。だから、「Xジェンダー」でない私たちは共感できず、「はーそうでしたか大変でしたね」としか言えない。

この本はペス山氏自身が救われるために作品を書いているかもしれないし、これの印税でお金の面でも豊かに暮らしていければいいと思う。
しかし、ペス山氏が知人と対話しているシーンを見て、この人は「私の理論を理解して。そして一緒に救われよう」と押しつける癖がある人なんだなと思った。
(そして、理解されず、自分が世界から疎外されたと自己憐憫に浸り、また、相手が受け入れてくれなかった理由も自分で勝手に思索し、「自分が一番正しい」という結論に至る)

この本は、客観視しているようで、ずっと作者の主観で語りだ。
本作は連載中もコメント制限をかけるなど、読者にも言論の自由を許さず、あくまでも「私の語りを黙って聞いて、肯定して」であった。

Amazonのレビューでは「宴会で酒を飲むと、他人の悪口を言い出す人」と表現されていたが、私もまさに、この人の本を読んで、「被害者のポジションに居ながら、過去のあれやこれやを今だとばかりに引っ張って、自分以外の全員を悪役に仕立てる人」なんだな、と思った。
作品は公開された瞬間に作者の手から離れてそれぞれの読者のものになる。
読者の自由な評価が許せず、「当事者のいうことが絶対」とするのであれば、ペス山氏は創作に向いていないと思った。

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