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早稲田大学が大っ嫌いだった、話。

郵便ポストを開けると『早稲田学報』が届いていた。
大学の最新情報・新しい設備・OB情報・寄付金・エトセトラ……を定期的に教えてくれるこの冊子も、最近は届くや否やゴミ箱に突っ込んでいる。
実は卒業年度の学費に、この雑誌の購読料金が上乗せされている、ということを最近知った。

ひさしぶりに最新号を開いてみると、女優活動をしている卒業生のインタビューが載っていた。同じ授業を受けており、先生方から一目置かれてていた彼女を私は一方的に知っている。
ページを捲ると、成績優秀な学生しかもらえない学費無料の奨学金を得た学生が、この機会を大切に研究とサークル活動に励むと笑っていた。
私は学生時代に載ることはなかった。そしてこれからもこの雑誌に載ることはないだろう

思えば、入学してから一度も早稲田大学にいて満足したことはなかった
入学式。本キャンパスの正門から入ると、歩くだけで両手には抱えられないほどのビラが集まる。一枚もらうと、次へ次へとチラシを持った腕がにょきにょきと目の前に現れ、あっという間に両腕にビラが積まれた。
これが早稲田大学の名物の「新歓」だ。1時間に数回ラテンアメリカ研究会による騒がしい音楽とともに大合唱が始まる。
プラカードを持って叫んでいる学生。建物の屋上から降ってくるチラシ。足元にはコンクリートにチラシが何層にも重なっていて、一番下層のものはこびりついている。これが「大学生らしい」「早稲田って最高」な瞬間なんだと瞬時に悟り、私は「これの何が面白いのだろうか」と頭にクエスチョンマークが浮かんだ
筋肉質の男子学生に捕まってしまい、新歓に来なよと尋問をされたとき、恐怖でいっぱいだったが作り笑いをした。「憧れていた大学に入って1日目」の楽しい思い出に変換しようと努力した。
家に帰ってからTwitterを開いた。「本日の輝くワセジョは、新入生の○○さん」という投稿がタイムラインを流れる。なるほど、あの中で特に外見が優れた女の子は別途声をかけられて写真を撮られていたらしい。

入学してから周りに合わせて購入した雑誌、「マイルストーン」は、授業中寝ていても取れる「楽単」情報が載っていた
その中で一番人気と書かれていた授業を、高倍率な抽選で勝ち得ることができた。人で溢れる教室にはブリリアントピンクスのバックをもった女の子とショッカーズのバックをもった派手髪の男の子がグループが大きな顔をして座っていて、一人で受ける私の居場所はどこにもなかった
90分1コマの授業は、60分のアニメを見て、30分間先生が考察をする。先生の会心の出来であろう「変態」的な考察がスライドに映された瞬間、スマホのシャッター音が沸く。後ろの方向から笑いながら連写をしている音が聞こえる。「これって大学の授業ですよね? #早稲田大学 」のツイートをして地元の友人に自慢するんだろうなと思った。

常に、何かが擦り減っているような気がしていた。

「女はこういう扱いを受けるんだ」と知ったのも早稲田大学だった。
サークル活動で、入会してすぐに「一姫二女三婆四屍」という呪文のような言葉を耳にした。飲み会で金魚を食べたり、きゅうりをお尻に突っ込んだりする、大きいサークルは避けて、比較的少人数でこじんまりとしていたサークルを探したつもりだったのに。
サークルの勧誘で私を笑顔で誘ってくれた美人な先輩は、酔っ払うと誰とでも寝る人だった。「なんで先輩は付き合ってない人とキスをしているんですか……」高田馬場の居酒屋で目の前に繰り広げられている光景は、私にとって不潔なものに感じられた。浅野いにおでレポートを書いたと先輩はアメスピを吸って言っていた。先輩が村上春樹な、青春の、なんでもありの、破天荒な、大学時代というを刹那的に楽しもうとしていたのはなんとなくわかった。
サークルは2年生のときに自然に行かなくなった。きっかけは2年生の4月に「おいババア」と、同期の男子たちが「いつまでも一女でいられると思うなよ」と笑って言ってきたことだった。今思うと、私は20歳だった

早稲田祭は、一年生のときに1回だけ行った。
素朴な顔をした男女のカップルが、イチャイチャとお互いを下の名前で呼びがら焼きおにぎりを作っているところを見せつけられた挙句、500円で真っ黒焦げの炭 のようなものを提供された記憶がある。
私は、10年間ダンススクールに通っていたので、爆音のステージで汗を飛ばす彼ら/彼女らのパフォーマンスは特段上手と思わなかった。むしろ、語学のクラスで一緒だった女の子がTwitterで「今日も深夜練」と自撮りをしていたピースの顔を思い出し、結局なんで深夜練って深夜にやらないといけないんだっけ……と疑問が頭に浮かんだ。
早稲田祭は早稲田祭実行委員という大きなサークルが運営しているから、ステージに立てる時間はそこと懇意にしているサークルか内部の人がいるサークルが優遇される。公平性など全くないんだ。その話を聞いたとき、これが学生自治の弊害か、と思った。今日も早稲田祭実行委員はほしいままにできる権利を振りかざしている。

「何者」という小説を書いた朝井リョウさんも早稲田大学だ。この学校には恥ずかしげもなく「何者になりたい」「何者にならなくちゃ」という言葉が行き交っていた。そして私もその言葉に惑い苦しんだ。
学年が違うが同じ学部の男の子がAV男優になった。彼はSNSで「何者になってやる」と叫んでいた。私にはパンツを脱いでまで名前を世間に広めたいというガッツがなかったが、彼のやりたいことは痛いほどわかった。彼もまたこの肥大化している自意識と折り合いがつかず悩み苦しんだ平凡な青年だったのだろう。

私は何者になれなかった。そして何者かにならないといけない苦しみ、恋焦がれた感情は心の奥で燻っている
スポーツ推薦で入った同じクラスの男子が、「【学長を囲む会】に招待をされたから誰か同行しませんか」とTwitterで呼びかけていた。私の知らない場所で将来有望な学生は目星をつけられ、学長を囲んで美味しいご飯を食べるんだな、と胸が痛んだ。
一度も「本日の輝くワセジョ」として紹介をされなかった。選び抜かれた美人だけが、早稲田内のファッションショーに出られるらしい。ダンスパーティで王子様を待つような淡い期待を胸に4年が過ぎ去った。
重松清が教鞭をとると聞けば広い教室でトークショーのようなところにいき、是枝裕和が教鞭をとると聞けば理工学部の狭い教室の授業に潜っていたが、結局私は何もなし得なかった。

4年間自意識と向き合い続けるのは疲れた。長すぎた。
就職活動のとき「早稲田大学4年○○アンナです」と利用させてもらったのが大学に行って一番の収穫だろうか。サークルなんかとても4年間続けられるものではなかったが、面接では副幹事長をしたことにしていた。実際の副幹事長になった男は酔うと神田川に靴を投げ入れるようなひどい男だったから、経歴詐称にに抵抗はなかった。

卒業式。学内アルバイトで一緒に受付をした真面目なメガネの女の子が、卒業論文を壇上で表彰されていた。私もそう生きたかったな、と思ってちょっと泣いた。周りからはもらい泣きか、卒業に感極まった繊細な女に見えただろう。何人かの仲良しごっこをしたよっ友たちと写真を撮った。誰もが自分が一番盛れる角度で写真を撮っているような気がした。別れを惜しむなんてなく袴のコスプレパーティーをしているようだった。
戸山の丘をくだったとき、4年間が走馬灯のように思い出された。私を「まーん」と呼んできた黄緑色のマッシュヘアをした男、sex狂いのアメスピ先輩、女優活動をしている子を名指しする是枝、コットンクラブで学生を口説いた教授、36号館のAV教室の2階の席の雑談の声、モラハラクソ男と付き合って病んでいる同級生……。これで早稲田大学は終わりです。今までありがとうございました。そうして心の中でできたばっかりのスターバックスに中指を立てた。

そんなわけで『早稲田学報』を読むと、私のこじれにこじれた「何者」になりたかった感情が蘇るから嫌なのだ。これからもゴミ箱に入れてしまおう。私の暗黒時代と共に。

卒業してから程なくして、一度サークルで一緒だった子と高田馬場でお酒を飲んだ。大学時代あれほど一緒に時間を過ごしていた我々も、結局のところ共通の話題がなくなったら何も話すことがないほど、仕事観も結婚観も趣味の時間の過ごし方もバラバラだった。「また近況報告しようね」と言って手を振って別れたが、「また」なんて二度とこないんだろうな、とわかっていた。
帰り道、高田馬場のロータリーを通りがかると、地面にへたり込んでいる汗ばんでいる女の子と、それを囲んでいる男性たちがいた。植木の隅っこ落ちている吐瀉物は、学生たちの自意識の塊のようだった。



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