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薬を飲まない・飲めない問題

 学校給食法という法律があります。小学生のころ、何気なく食べていた給食にも、食に関する正しい理解と適切な判断力を養うというミッションが、法律により規定されています。例えば、学校給食法第2条には以下のように学校給食の目的について明確に定められています。

第二条 学校給食を実施するに当たつては、義務教育諸学校における教育の目的を実現するために、次に掲げる目標が達成されるよう努めなければならない。
 一 適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること。
 二 日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
 三 学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。
 四 食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 五 食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。
 六 我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること。
 七 食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと。

 この文言を見ていて、僕たち薬剤師の仕事と妙に重なる部分があるなと感じました。食事の摂取と薬剤の服用は確かに別ものなのでしょうけど、二条の一を「適切な服用方法による健康の保持増進を図る」と置き換えても違和感を覚えないように、学校給食の実施目的と ”薬剤の適正使用” はなんとなく同じ構造を有していると感じるのです。

 もちろん栄養バランスに十分に配慮された学校給食は子供の健康にとって、大変有用なものでありましょうし、給食を通じて、食文化や食糧生産について学びを深めるきっかけになることでしょう。さらには食事のマナーや食の安全・衛生など、給食を通じて得られる学びはとても大きいものだと思います。

 しかしながら、様々な理由で、どうしても給食を食べることができない子供も確かに存在します。学校給食が有用性を兼ね備えたとても優れたシステムだけに、『残すなんて給食を作ってくれた人たちに失礼じゃないか』『食べ物はそまつにしてはいけません。全部食べなさい』『残す?……とんでもない。外国には貧しい人たちがいて食べ物に困っているんですよ』といった文言は正当化されやすくなります。

 つまり、給食制度の背景で、なんとなく生きづらさ覚える子供は少なからず存在するのではないか、僕はそう思うんです。極端な話かもしれませんが、こういったことが原因で不登校になったり、トラウマを抱えてしまう人もいることでしょう。

 もちろん、現在の学校教育において、こうした観点から丁寧な考察がなされ、『給食を食べられない・食べない』ことについて、十分な配慮がなされているケースも多いでしょう。したがって、僕の主張が全てのケースに当てはまるとは限りませんけど、こうした状況を薬の服薬行動に置き換えてみると、事態はやや深刻なのではないかと思うのです。

 病院へ行く理由は人それぞれ、様々だと思います。中には『本当は病院なんて行きたくないけれど、家族がどうしても行けというから致し方なく受診している』という人もいます。受けたくもない診察を受けて、そこで薬をたくさん処方される。そして薬剤師からは、薬をしっかり飲んでくださいと説明を受けてきます。

 こうした状況において、医療機関を受診して薬をもらう、という行為は能動的な行為というよりも、程度の差はあれ受動性を帯びています。そして、飲みたくもない薬を前にした患者さんに、僕たち薬剤師は薬の効果について説明し、その有用性と用法用量を強調します。『しっかり飲んでくださいね』『飲まないと効果ありませんよ』というメッセージを込めて……。

 健康増進、教育的利点を盾にした、『給食を残さず食べなさい』という、圧力。健康増進、症状改善を盾にした『薬を用法用量通り飲みなさい』という圧力。前者を教育的指導、後者を服薬指導と、容易に言い換えることができますが、本質的には強要に近しい行為なのかもしれません。”誰かのために……” なんてことは時として誰のためにもなりません。

 服薬アドヒアランスの向上・維持という概念は臨床においてはポジティブな価値を帯びていますけれど、その背景でなんとなく生きづらさを覚えている人はいるのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。

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