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告知を受けたあとに視点が変わったこと。

1月に乳がんの告知をうけて、落ち込むわけです。がん=病人=床にふせる。そんな図式が頭の中にあって、暗澹たる思いになって、人前でもどんな風に振る舞えばいいのかわからない。今までと違う世界線で生きているような感じ。そのときのことはリアルタイムでnoteに書いてる。

今でもときどき思う。例えば、目の前に60歳を過ぎた健康な人がいたら、なんでこの人はがんにかからずに、60年生きてこれているのか。44歳でがんにかかったわたしとの違いはなに?どうしてわたしはがんにかかったの?なにがいけなかったの?

何度か想像しました。自分がいないこの世界のことを。

自分の姿がない職場。
自分の姿がない自宅。
自分の姿がない車での移動。

これが結構簡単に想像できて、それがまたわたしを落ち込ませたし、頭の中で死ぬってことに近づいた。わたしが死んだあとの世界の風景はこんな風になるのかなって。

でも死んじゃうことに対しては悲しかったけど、実はどうしてもイヤだということではなかった。去年がすごくつらくてまたあの1年を繰り返すのかと思ったら、もう終わりにしたいっていうのが本音だった。でも、今すぐどうこうは困る。ていうか、わたしのそんな意思などは関係なくどんどんと検査や治療は進んで、抗がん剤の日々が始まるんですよね。がんになったけど、治療しないなんてないよね?副作用はつらいし、効くかどうかわからないけど。そんな感じで始まっていくんです。

これから自分の身の上におこることを放置しておけるほど図太くもないので、もちろんネットで病気について検索しました。確かな情報かどうかわからないことが多かったけど、わからないなりに情報がほしい。たくさん集めれば、ピンとくるものがあるんじゃないかと。

そんなある日、キャンサーという言葉を見つけます。がんにかかった人のことをキャンサーと呼ぶらしい。そんなことも知らなかった。わたしが見たのはちょうど2月でキャンサーサミットっていうがんにまつわる問題点や新しい治療についてを展示し、問題提議していくイベントを開催していた頃で、実際にその場所には行けなかったけど、そこに参加する人たちのSNS投稿やブログを読んで、そこではAYA世代のがん患者の働き方や、ステージ4の暮らし方、どんどん承認されていく抗がん剤や治療法などが発表されていて、がん=病人=床にふせるというイメージが少し変わるきっかけになりました。

「がんと言われても動揺しない社会へ」なんてわたしにぴったりすぎるサブタイトル。動揺しまくってましたので…。このイベントをきっかけに、AYA世代っていうのも初めて知ったし、調べてみれば40代で乳がんになるなんて別に珍しいことでもなんでもない。人間ドックやがん検診も行ったことなかったし、あやしいかなと思っても仕事の忙しさにかまけて放置。無知で病気に対しての対策をしていなかっただけ。肝臓や骨、脳の転移も乳がんでは多いことでしかもトリプルネガティブでもなく、抗がん剤も使えるしホルモン治療も受けることができる。他の人の病状と比較することではないけど、わたしがかかった病気は特別なことではなかったんだと思えるようになって、それからはなるべく、くよくよしないように気持ちをつくっていきました。呼び名や社会認知で気の持ちようが変わるんだから、広く知ってもらうってことは大事なことだな、わたしもその一端を担えたらいいなと思い始めたのがここ最近の更新です。

まぁなかなかむつかしいけど、こうなった意義がほしいし、いろいろぶつかりながら付き合い方を知るって感じです。


おまけ
個人的にはがんサバイバーよりキャンサーの方が未来感あって好きかな。



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