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隣人。

「お隣の奥さんが長靴で森へ行った」
と聞いて。

慌てて追いかけた。

団地は山を切り開いて造設されたのだから、すぐに森へつながる。

目を凝らすと、西日を透かした森に、動く人影。柔らかな腐葉土を踏みわけて、人影へ
「沢渡さんっ」と声をかける。

ウトウトしていた人が、ゆっくり目を覚ますように、こちらに気がつくと
「あぁ、佐藤さん…」と。

「沢渡さんが、森へ言ったって聞いて…心配で…。ご主人のことも。」

「ごめんなさいね、心配かけて。ホントに困っちゃうわ、まだ見つからないの」


市内の広報アナウンスで、「行方不明者」のお知らせがあったのは昨日。朝刊には、地域欄に小さく載っていた。お隣に、パトカーがとまっていた。

行方不明者は、お隣のご主人だった。

「私はもう少しこの辺りを見て帰るから、
    佐藤さんはもう戻ってね」
と奥さんは、ぼんやりと言う。

1人にしておくのは心配で、けれども娘のお迎えもあり、
「暗くならないうちに戻ってくださいね」
とだけ言い残し、気がかりながら家へ帰る。

翌朝、回覧板をまわすのを口実に、フルーツとゼリーと、を入れた小さな紙袋を手に、お隣さんへ行くと、ちょうど奥さんが庭に出てきたところだった。

「沢渡さん、食べてる?心配だけど、ちゃんと食べないと奥さんまで参ってしまうから」と、紙袋を手渡す。

「あら、ありがとう。ホントにね。まだ見つからないの。こんなにみんなに心配かけて、困った人なのよ、ホント。」
力無く微笑んだような、どこかここにあらずな、あやふやな表情で。


警察は捜索していた。
その2週間後、ご主人は見つかった。
近くの河川だった。


「佐藤さん、お父さん見つかったの。
いろいろとご心配おかけして、ごめんなさいね。フルーツも本当うれしかったのよ、ありがとうね。」

しばらく前から、鬱病で闘病していたのだと聞いた。

「困った人なのよ」

沢渡さんのご主人は、奥さんを置いていってしまったのだから、本当に困った人なのだ。

「困った人なのよ」

沢渡さんの手入れするお庭に、白いアナベルがこんもり咲いて。薄紫のキボシもスーッと伸びて。
気がつくと、奥さんが、麦わら帽子を被って、花を手入れして、芝生を刈っている。
まるで庭の一部のように。花木の隙間に、かがんだ麦わら帽子が見え隠れする。

近所の野良猫を追いかけて、
「嫌ね、うちにも来るのよ」

「うちにも来るんです、花壇を掘ってしまったりします」

「うちもよ、嫌ね」

二人で野良猫を眺めながら。

「困っちゃうわね」

麦わら帽子で、野良猫を眺めながら、色の白い沢渡さん。

「困ったわ」

お隣の庭で、ヒメヒオウギズイセンの朱色が
揺れる。




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