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一人、他人になって。

換気扇がカパカパと風を受けて、夜通し、外は荒れていた。建物自体にぶつかる突風に、「よかった…鉄筋コンクリートを選んで」
と思ったし、周りにたくさんある学生アパートの皆さんは大丈夫だろうかと、要らぬ心配までした。

パチパチとか、バチバチとか、雨じゃない何か硬そうなものが降って。

行きに濃霧の立ち込めた高速道路は、おそらく、帰りは雪道だ。明るいうちに帰ろう。

「お湯を張ったお風呂に入りたい」
と、一人だとシャワーだけで済ませてしまう長女だけれど、『シャクレルダイナソー』の入浴剤を使ってみたいのだ、と湯を張る。
そういえば、のんびりしてお風呂に入るのも億劫になった子どもたちに、入れると中からキャラクターが出てくる入浴剤で誘っていたことを思い出す。

ホカホカになった長女が、小さなダイナソーを手に下着姿のまま出てくる。

私が一人暮らしをしていたのは、派遣社員をしていた一年間ほどのこと。木造二階建てのアパートの、二階に住んでいた。三人家族くらいなら住めそうな2DKで、ダイニングキッチンとリビングが一続き、和室が一つ。
一人用の冷蔵庫と、一人用の炊飯器と、一人用のレンジ。小さなテーブルに、小さなテレビ。和室には一組の布団と、小さな本棚。

とても静かな暮らしだった。

冷蔵庫の唸りや、風の音、隣人の出入りを聞くともなく聞きながら、自らもさほど音を立てないように暮らしていた。

そんな静かな暮らしに、友達がやってくると、とたんに賑やかな夜になって、少々の物音も気にならなくなって、なんだか気が大きくなったような気がした。自分以外が立てる物音に、ヒヤヒヤしながらもどこか心強さを感じたのだ。
「暮らすのに物音くらい立つよな」と。

長女の部屋を掃除しながら、そんな物音についての感覚を思い出していた。
すぐ隣や、すぐ下に、顔の知らない他人が暮らしているという不思議。

ここは、歩いて五分でスーパーがあり、別方向に三分でドラッグストアがある。道中には、学生アパートばかりで、学生らしき人が自転車でツーッと通っていく。

買い物カゴを手に、スーパーへ、トレーナーにリュックにスニーカーで、徒歩で買い物へ行く。地元スーパーというのは、ここらを濃い生活圏としている、事訳のわかった巡り方で店内を流れる住人ばかりだ。

うまく紛れ込むことにする。

物珍しげに買い物をしていては、日曜日の朝のスーパーでは、はた迷惑だ。逆走をする場合は、「あ。そうそう…」などと、買い忘れたわ感を醸し出しながら戻る、という小芝居でもって住人感を演出する。

そんな街のエキストラみたいな小芝居を、前はよく楽しんでいたけれど、しばらくしていなかったな、と思う。それは、自分の生活圏内を出ていなかった、とか、見知らぬ場所で単独で動くことがなかった、という意味でもあるけれど。

旅行へ行ったり、美術館へ行ったり、私のことを誰も知らない場所で、自分の設定を映画やドラマのエキストラのように、あるいは小説の登場人物のように背景を変えて演じるように巡るのという遊びが好きなのだ。
名乗るわけでもなく、ただ私の中の「~なつもり」で、立ち居振る舞う、というもの。
私のみの単なる遊びだけれど、そうして振る舞うことで、見え方が変わってきたりするから面白い。他人になる、というのも。

ちなみに、スーパーでの私は、
「一人暮らしにもようやく慣れてきたから、  自炊をしてみようとする大学生」
という設定だ。カゴの中身からも、ひき肉だとか、お味噌だとか、張り切っている感じがするもの。思わず買いすぎてしまったカゴの重たさも。


「ただいま。」

一人暮らし用の音量でそう言って、
おかえりを期待しないで、
カチャンと丁寧にドアを閉める。








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