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【読書感想文】力をぬいて

詩人、エッセイストの銀色夏生さんのエッセイ集です。

私が中学生のころ、友だちの間で銀色夏生さんの詩集が流行っていました。当時は変わった名前の人だ、くらいにしか思っていませんでしたが、詩集よりエッセイが好きだった私は、数年後、ふと「銀色ナイフ」というエッセイを買ったのです。

それから、彼女の考え方や、ものの捉え方などに惹かれ、表紙のカバーが擦り切れてしまうほど読んでいました。


そして先日、図書館で「ここだよ」とばかり目をひいた一冊。「力をぬいて」という本は、まさに今の私に必要な栄養素のように手に吸い付きました。58歳になった銀色夏生さんが、今までの人生を通して思った、現時点での考えのまとめなどを綴った本だそうです。

「生と死、現実と想像、過去と未来、伝達可能なものと伝達不可能なもの、高いもの と低いものとが、そこから見るともはや矛盾したものに感じられなくなる精神の一点 がかならずや存在するはずである。ところで、この一点を突きとめる希望以外の動機をシュルレアリスム活動に求めても無駄である」

私の精神の真ん中にある言葉 より

銀色夏生さんの軸とでもいうべき言葉、矛盾するふたつが同じものに見える一点を探すこと、それは彼女の生きる目的となり、そのことを考えれば怖いものがなくなるほどとなったという。

考えていくと頭が混乱しそうだけれど、実は私も似た思想を持っている気がしている。並べるのはおこがましいが、私はどちらか一方の視点だけを持ったり、片方だけの意見を持つということを、何となく避けて生きている。それは、偏った人間になりたくないと常々思っているからで、表だけが正しいわけではないのだし、裏だけが闇というわけではないと思っている。昼と夜、光と影、裏と表、そのどちらにも世界はあることを知っている。できればその両方の世界を見ていたいと思っていたりする。そういうのとは、違うのだろうか。似ているような気がして、読んでいて心強くなったりした。

だからなのか、関係ないのかわからないけど、私はふたりの子供の、性格というか、 考え方というか、物の見方というかが、なんていったらいいか言い方がわからないけ ど、すごく好きです。ここはこの子のまだ未熟なところ、成長過程だな、と思うところはあるけど、この部分がどうしても嫌い、という部分がないというか。 幼稚園ぐらいの幼い頃から、自分にないいいところを見つけると、「この子のこう いうところは尊敬する・・・・・・」と思いながら見ていました

私の子育て  より

銀色夏生さんには女の子と男の子のお子さんがいらして、もう成人している二人だけれど、子育てを振り返ってそう綴られていた。
たとえ自分の子どもでも、やっぱり自分とは違う人間なのだから、観察するというか。そういうスタンスはとてもわかる気がする。自分だったらそんなこと出来ないなぁ(たとえば娘たちはずっとダンスを習っていたけれど大勢の前で笑顔で踊ったりするのに緊張しないとか)ということを、すごいなぁと見ている。あまり自分のという意識がないのかもしれない。昔からずっと知っている子、というか。愛情とは別の話だけれど、接し方だけを考えると、「あぁ、そういうとこ、この子らしいなぁ」とか、そうやって観察しているところがある。銀色さんとお子さんの距離感は、とても共感できてちょっとびっくりした。もちろん、嬉しいびっくり。

シダの葉 に見るフラクタル構造

簡単な式を繰り返すことによって、終わることのない無限にこみいった複雑な模様が生まれる。無限の複雑さを形成することができる、有限の体積の中に、無限の表面を抱合できる。

自己相似生 より

たとえ小さな簡単な絵柄でも、それをどんどん繋げたり、組み合わせたりしていくと、徐々に複雑で面白い絵柄になっていく。曼荼羅を実際に描いていくとき、似たような気持ちになっていた。
陶器の絵付の図案を練習するときも、こんな複雑な模様…と思って怯みそうになるけれど、実は細かく見ていくと、同じパターンの繰り返しだったりする。出来上がってみるとそれでも、とても立派なものに見えるのだ。

毎日、
ひとつの小石を
つむように
生きようと
すること

外的要因に
左右されない
個人的幸福の試み

帯 より

銀色夏生さんの、日々の本質を紡いでいく生き方はとても豊かな気がした。
大切なことを見落とさないように、暮らしていきたい。

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