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優しい親子丼。

「…あぁっ、おわった…」

そのまま仰向けに倒れ、寝転がり、両親指で目頭を抑える。目の奥がジーンとする。
背中も肩も腰も、ほとんどずっと同じ姿勢でいたから、凝り固まってバキバキだ。

自分の身体から、髪から、油っこい匂いがする。そうだ、そういえば風呂も入っていない。湿ったような濃い人間のにおいがする。

熱いシャワーを浴びたい。
お腹も空いている。

遮光のカーテンは閉めっぱなしで、だから今が昼なのか夜なのかわからずに、何日経ったのかもよくわからない。

けれど、ようやく、書き上げた。

最後のクライマックスは、自分で書いたとは思えないくらい盛り上がり、うまく仕上がった。手が止まらずに、まるでキーボード自体が勝手に動いているかのように、カタカタカタカタと導かれていった。
こんなことは初めてだった。
頭の中に、目の前に広がっていく登場人物たちの動き、会話、展開をすぐさま文字に起こしていかないと、ととにかく夢中で、どんどん面白くなっていき、ラストの展開は、興奮してキーボードを打つ手が震えていた。

──了。

カタンッと、大きめにEnterキーを叩いて。
終わった。

仰向けに寝転がっていると、床をブーンブーンと振動が伝ってくる。何度目かでようやく

「あ…スマホ…。」と気が付いて、バキバキの身体をねじって、手を伸ばし、転がっていたスマホを手に取る。

「もしもし? やっと出てくれた。
    全然繋がらないんだもの。」

「ごめん、書いてたから。」

「うん、そんなことだろうと思ってたけど。どう?もう終えたの?」

「うん、さっき。やっとね。」

「そう、じゃあ今から行くね。」

「あ、うん。わかった。」

PCデスクまわりには、ティッシュとそのゴミ、目薬やリップクリーム、ぬるい飲みかけのペットボトルのコーヒーとその空、自分と同じ匂いのする毛布と枕。そして、その中に仰向けに寝転がった私。


ガチャッと入ってきた彼女は、買い物袋を両手に持ったまま、そんな光景を目にしたけれど、特に驚いてもなさそうだ。

「おつかれさま。
   ねぇ、シャワーは?風邪ひくよ?」

逆さから覗き込むようにして、前に垂れる髪を耳にかけながら、私の頭の上あたりに膝をつくと、ふわりと彼女の匂いがした。

「お腹すいた」

「うん、何か作るね。だからほら、
   その間にシャワー浴びておいで」

そう言って彼女は、冷たい手で私のおでこをペチペチと叩いた。

43度の熱いシャワーを頭から浴びる。バタバタと床に湯が跳ねる。熱いお湯に打たれながら、温まっていくにつれ、肉体がその役割を思い出していくように血が巡っていく。

「はぁ...」と思わず声を漏らす。
脱衣所の鏡に映った私は酷いものだった。目は血走り、顔色は悪く、目の下にはクマ、唇は乾燥してカサカサしていた。

二日、いや三日、風呂に入っていない身体を、泡泡のソープで二度洗いする。
さっぱりいい匂いになって、ようやく血の気の戻った私は、湯気をまとい、濡れた髪をタオルで拭きながら出ると、キッチンでテキパキ支度をする彼女がいた。

香ばしい出汁のいい匂い。

「スッキリした?
   もうすぐできるから待ってて」

正直にグゥーーっとお腹が鳴って、口に唾液がたまってくる。料理が得意な彼女は、あり合わせの物でもなんでも、手際よくパパッと作ってしまうし、いつもそれは美味しくて。

定食屋でもやったらいいのにと言っても、
「このくらい誰でも作れるよ」
と笑うだけで、きっといつもの冗談ととっているのだろうけれど、私は真剣に言っている。ただ、この彼女の手料理を食べられる特権を、やはり私だけのものにしておきたいのも正直なところで、そのあたりは、彼女とも一致しているような気もする。
「愛情が入っているから美味しいんだよ」
 と、冗談っぽくも言うのだから。

「はい、ごはんですよー」

ふんわり黄色のとろとろ卵の親子丼、まあるい輪っかのふくらむお吸い物。彩りの三葉。湯気が香り立ち、折りたたみの小さなテーブルが、たちまち幸せな二人の食卓になる。

「いただきます」
「はい、めしあがれ」

丼から掻き込むように、熱々のふんわり優しい親子丼を、口いっぱいに頬張る──。


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仕事やなんやでヘロヘロに疲れて帰ってきて「美味しいご飯作って待っててくれる可愛い彼女がいたらなぁ…」
という妄想が過ぎて、とうとう書いてしまいました。

完全なる妄想ストーリーです。
こんな優しい親子丼が食べたい…。
お腹すいた…。

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