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「読書感想文」それでも日々はつづくから

燃え殻 さんの週刊新潮の連載より精選された作品です。挿画 大橋裕之さん。

Netflixの映画、「ボクたちはみんな大人になれなかった」の原作者である。

僕はまーまーいい加減に生きながら、たまに思い立ったようにサプリメントで鉄分を摂ったり、まーまー高い値段のハンドクリームをたまに買うような人間だ。毎日三つ星の店や毎日コンビニ飯だったりしたら、僕はちょっと生きていけないような気がする。

まーまー好きだった人 より

 これを読んで思い出した。娘の「夏休みのくらし」という毎日ひとこと日記みたいなものの、「おうちのかたから」の欄に、夫が

「まぁまぁがんばっていた。」

と書いて提出したことを。
そのころの私は、その「まぁまぁ」という、適当な感じが親としてどうなの?と、かなりの勢いで(提出済なのだが…)咎めた。40日という長い夏休みは、母親には大変な日々である。それをやっと終えたのに、「まぁまぁ」って、おいっ、と。

それからは、親のコメント欄には私が書く、と、「まぁまぁ」と書いちゃう人に任せられない、と頑なに私が担当していた。

けれども、この燃え殻さんのエッセイを読んでいて、その「まーまー」がすとんと落ちたのだ。「まーまー」くらいでいいな、と。

それは、

「人は働くもんだ」くらいの理由で働いてきてしまった。やり過ぎてしまった感すら自分の中にはある。世間の目さえ気にしなければ、あっという間にその友人の横で万年こたつに入って、一日の大半を過ごす人間になれた。

疲れると人間に会いたくなるのだ  より

という、世間の目なぞ気にしずに生活をしている、人間らしい友人に気付かされたのだ。
「親として」「おうちのひと」として、立派なことを言わないといけない、とがんばっていた私に。夫は、ただ本当に「自分が」そう思ったから書いただけだったのだ。

燃え殻さんの日々。
世の中が少し心配するくらい速く進み、余裕がなくなっている世間の中で、自分のペースだとか、自分の本来の思考だとかを、見つめている。

流行りに乗っかってみようとするけれど、どうにもうまいこと乗っかれず、「あれ、これで合ってんのかな」と感じて、そういう自分に「ですよね」と言うような。

それでも、昔に「かっこいい」と思った大人に、少しでも近づこうと、やれることを自分の方法でやっていく。

「君は大丈夫だよ、おもしろいもん」
そう鼓舞して。

読み終えて、久しぶりに絵筆をとって、青と緑の絵の具をびゅーっと出して。
ここのところずっと、頭の中にあった図柄を、画用紙に描く。
母でも、妻でも、大人でも、子どもでもない、「人間」を少し取り戻していく。

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