納富信留著『プラトンー哲学者とは何か(シリーズ・哲学のエッセンス)』を読んで

 山内志朗『中世哲学入門ー存在の海をめぐる思想史』を読んでいて、イブン・スィーナー(アヴィケンナ)に、アリストテレスやプラトンが与えた影響を知ってギリシア哲学を知りたいと思いました。哲学書で何から読めば良いのか困った時は、NHK出版の「シリーズ・哲学のエッセンス」を頼りにしているので納富信留先生のこの本を手にしてみることにしました。ちなみに「対話の技法」という本も出されていています。こちらは、日頃の会話にも役立つような内容でした。

 プラトンはソクラテスを師とし、アリストテレスを弟子とした、紀元前427年にアテナイに生まれた哲学者です。この本では、ソクラテスとの出会い、アテナイの政変(クリティアスの政治や三十人政権)、ソクラテスの裁判と処刑(前399年、クリティアス政権への関与の疑いと不敬神の罪状)、といった出来事から、どのように生きたかをたどる内容になっています。ソクラテス、プラトン、アリストテレスの生きた時代は、それぞれアテナイ民主政の黄金期、灰色の時期、終焉と対応しています。そして、3人とも政治の実践を意識していたと思われます。この辺りに、フーコーやドゥルーズがギリシア哲学史に関心を持ったのではないでしょうか。また、ハイデガーもプラトンやアリストテレスに強い関心を持って『存在と時間』を書いたようです(細川亮一『ハイデガー入門』ちくま新書)。

  副題にあるように「哲学者とは、何か」というのがこの本のテーマのようです。

対話とは、人と人が出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、一度かぎりのやりとりである。対話は、それがかわされるた特定の生きた状況、時と場を離れてはありえない。そこで出会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と言葉が吟味により明るみに出すのは、対話する人の生そのものなのである。そして、人と状況は、その対話をつうじて変化していく。対話をかわした人のあり方は、もはや以前のものではありえない。人が形作る対話の言葉は、また、その人を形作るものなのである。そして、対話は二度くり返されることはない。  

納富信留『プラトンー哲学者とは何か(シリーズ・哲学のエッセンス)』NHK出版 pp. 28-29

  地理的、歴史的、そして政治的なことを離れて哲学は成り立たないといったことは、ドゥルーズも『記号と事件』で語っていたと思います。また、対話というやりとりは、自己言及が自己を規定する状況や場であり、そこで行われるやりとりから、その人の生が現れるというのも興味深いです。この辺りを人は何に従うのかという問いに読み替えると、スピノザにも近づいていくように思います。また、こうした対話における追求は、時には自らを危険にさらすかもしれません。現にソクラテスは処刑されていますし、プラトンも政治的な危機を体験していたはずです。そうした、状況や場で自らの心のう内を語ることは勇気がいる行為だと考えられます。この辺りにフーコーは関心を持ったのではないでしょうか(ミシェル・フーコー『真理とディスクール パレーシア講義』筑摩書房)。

 最後にソクラテスの教育、つまり対話と吟味の厳しさについて書かれた一文を引用して終わりたいと思います。

学びは、自己の殻を固く守った得になるものだけを手に入れる、安易な営みではない。教育は、魂と魂のぶつかり合いであり、対話は生死を賭けてかわされる。

納富信留『プラトンー哲学者とは何か(シリーズ・哲学のエッセンス)』NHK出版 p. 98

 また、こちらの本は簡素ですが年表と人物索引がついているのでプラトンの生をたどるには便利だな一冊なのでお勧めです。

(終わり)

プラトンの著書
初期(吟味的、得の定義、得の学習)
『ソクラテスの弁明』『クリトン』『ラケス』『リュシス』『カルミデス』『エウテュプロン』『ヒピアス(小)』『ヒピアス(大)』『プロタゴラス』『ゴルギアス』『イオン』

中期(説教的、イデアの説、魂のミュトス)
『メノン』『パイドン』『国家』『饗宴』
『パイドロス』『エウテュデモス』『メネクセノス』『クラテュロス』

後期(探究的、知識論、存在論、倫理学、政治学、宇宙論)
『パルメニデス』『テアイテトス』『ソフィスト』『政治家』『ティマイオス』『クリティアス』『ピレボス※1』『法律』など

キーワード
「ソフィスト(職業的知識人)」「フイロソフオス(哲学者)」「フイロソフイア(哲学)」「ロゴス(言葉)」「デイアロゴス(対話)」「ディアレクティケー(対話の術)」「アポリア(行き詰まり)」「エイローネイア(空とぼけ)」「ドクサ(思いこみ)」「哲学すること(フイロソフエイン)」「ソーフロシユネー(思慮深さ)→もの静かさ、羞恥、自らのことを為すこと」「デーモクラテイア(民主政)」「正しさ、美しさ、善さ」「イデア
※2」「洞窟の比喩」「アカデメイア」「善く生きる」「不知」「哲学者の生」

注釈
※1 『ピレボス』では①無限なるもの、②限界、③無限なるものと限界が混合されることによって生ずる生成したもの、④混合の原因、という4種の類の区別をあげている(『ギリシア哲学史』p. 174を参照)。


※2 以下、『ギリシア哲学史』よりイデアについての引用

これは生成の秩序と存在の秩序を区別することである。何かでないものが何かになることの根拠は「なる」という過程では証明されない。「何かであるというそのこと自体のあり方」がこれを説明する。そこから「何かであるとそのこと自体のあり方」こそ「存在本性(ousia)」と呼ばれ、イデアと呼ばれる。これがイデアの措定である。これに対して、「そのもの自体」ではないものが「そのもの自体」と同じ名前で呼ばれるものになるのは、「そのもの自体」を分有することによってであると説明される。分有によってそのもの自体と同じ名前で呼ばれるものは「存在」の秩序には属さず、「生成」の秩序に属する。それはイデアを分有することによって存在する。ここにイデアとイデアを分有するものの弁別が生ずる。

加藤信朗(1996)『ギリシア哲学史』東京大学出版会 p. 116より引用

参考文献
加藤信朗(1996)『ギリシア哲学史』東京大学出版会

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