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レポート①【シリアの日常と日本の難民認定】

こんにちは!運営スタッフのヨシンです。ヤセル ジャマルさんの 「シリアの当たり前の日常と、日本の難民認定」のイベントレポートをお届けします!

2020年8月 更新.002


ヤセル・ジャマルさんの大学生活から難民としての道について

ヤセルさんはダマスカス出身で、ダマスカス大学の英文学を専攻していました。

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ヤセルさんは3つについて話してくださいました。

1、戦争前のシリアについて

最初に、戦争前のダマスカスの写真や、景色の写真を見せてくれました。海辺の写真(タルトゥース県)がとても美しかったです。
また、料理の写真やデザートの写真を見せてくれて、文化が素敵で、豊かな国というとことがものすごく伝わりました。


2、戦争後のシリア、難民について

次にシリアの戦争についてヤセルさんが話してくれました。非常に複雑な状況ではありますが、その中で印象的だったのは「イスラム教&ISIS(『イスラム国』)」について解説です。
イスラム教の持つ慈愛の精神を紹介し、ISISの残虐さがイスラム教の本質といかに異なり、間違ったイメージを世界に与えてしまっているかについて私たちに伝えてくださいました。

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3、日本での生活

ヤ―セルさんは2013年の2月にエジプトに行き、8ヶ月間滞在し、日本に来ました。
おじさんの妻が日本人なので、その繋がりで日本に来ることができました。
日本に来て1週間目は難民認定の申し込みをしました。7ヶ月間仕事できず、隔離され、携帯もないという生活でした。

何もできなかったためお金もなく、シリアから日本に来たばかりで不安の中、大学やスポーツもありませんでした。でも働かなければいけないという意志がありました。その頃は21才、家族を支えられたはずなのに、ビザがなかったことで、凄く悔しい思いをしたそうです。

建築の仕事を4ヶ月間、毎日長時間労働で、低賃金でした。朝の4時起きだったり、7時起きだったりしました。その後、足に錆びた釘が刺さり、破傷風になって2週間ほど入院しました。建築業の後はお台場にあるカフェで働いてました。そこで1年間、毎日14時間働いて、家族を支えることができました。

その後、1年半かかって難民認定を2015年3月に取りました。その頃、書類を沢山準備し、面談もし、沢山待たなければいけませんでした。ラッキーだったのが、受け入れられたシリア人6人の中、3人がヤ―セルさんの家族でした。難民認定を受ける確率は低く、2016年では、0.6%でした。お母さんはシリアのテレビ局で働いていたので、政治的・非政治的な情報を沢山持っていたため、面談は1日かかるものが7回ほどありました。

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父を日本に呼び寄せてから、幼稚園の英語の先生を始めました。さらに時間ができたので、シリアでは16才からプロのサッカー選手だったため、東京リーグに入り、日本語コースにも通い、大学の準備や奨学金、TOEFL、日本語能力試験の準備をしていました。

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今は明治大学日本国際学部の4年生で、2021年に卒業する予定です。大学に入ってから、コミュニテイーが広くなり、英国アーセナル本部サッカースクール事業のチームで怪我の回復や、プロになるための様々なアドバイスをもらいました。

2年前に、サッカーコーチもしていました。その後、フリーランスの俳優を始め、プロモーションを撮ったりドラマやCMに出演したりしました。
今は毎日俳優の芝居の練習をしています。


日本の方へのメッセージ

イスラム教やムスリムに対する偏見をなくし、もっと日本語コースが難民のためにあればいいなということでした。

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次回は8/22(土)【今、シリアで暮らす人たちの声】です!

お楽しみに!


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