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書評 『論語』 孔子

本当は『荘子』が読みたくて、その伏線として『論語』を手に取りました。
『荘子』のなかで、『論語』を批判的に捉えるくだりがあるそうで、読み比べてみたかったのです。

『論語』は儒教の四書に数えられる、中国思想の古典で、2000年も前に成立し、時の試練を経てもなお、読み継がれる本の一つです。
日本においては渋沢栄一はおろか、「和をもって貴しとなす」の聖徳太子や(元は『論語』、あるいは『詩経』の言葉)吉田松陰、夏目漱石、幸田露伴とかとか、平安時代にはもう伝来しており、江戸時代には儒学者が研究をしていたようです。
『論語」は日本文化に深く食い込んだ楔なのです。

「切磋琢磨」とか「温故知新」とか、気づいたときには知っているはず。そういうことなのです。

本編は、孔子とその弟子たちによる言行録で、Twitterほどの短いテキストが、バラバラに配置されたものです。名言集ともいう。
思想書といってもすごく明快で、読みやすい部類ですね。


著者について

孔子は本名を孔丘、あざなを仲尼といい、孔子というのは、孔先生くらいの意味です。
紀元前552年、春秋時代の人物で、漫画『キングダム』が始まる前くらいの人です。
という国に生まれ、出生については諸説あるものの、貧乏な庶民であったようです。3歳のときに父を、17? 24?歳のときに母を亡くし(詳細不明)、孤児として礼学を学び育ちます。

28のときまでには魯の官僚になっていました。しかし36のとき、政治闘争に敗れ、という国に亡命することになってしまいます。肉体的にも精神的にも絶頂期であろうと思いますが、キャリア的には挫折してしまいます。

その後ほとぼりが覚めて故郷に戻り、私塾を開きます。
3000人もの弟子を集めたと言いますが、まあウソの大げさな数字でしょう。ですが大勢いたのは確かです。

再び52のとき魯の官僚になり、最終的に大司寇だいしこうという高い地位を得ます。裁判官のような職です。
しかし、魯を牛耳る三桓氏という氏族にクーデターを仕掛け、失敗。その後十三年間は、政治に失望したのか、三桓氏に追放されたのか、諸国を巡り歩くことになります。

69歳でまた故郷に戻り、74歳で息を引き取ります。昔の人にしては長命だと思うのですがどうでしょう?

孔子はこの長い生涯のなかで、多くの愛弟子たちと学問をしていくわけですが、この弟子たちというのが、次々に先生を残して死んでしまうのです。

顔淵死す。子これをこくしてどうす。従者の曰く、子慟せり。曰く、慟すること有るか。の人の為に慟するに非ずして、が為にかせん。

顔淵が死んだ。先生は声をあげ、身を震わせて泣かれた。従者が「先生が慟哭された!」と驚いたので、先生はこう答えた「慟哭するとも! 彼のために嗚咽して泣くのでなかったら、だれのために泣くのだ!」

先進第十一 十

というふうに、『論語』を読んでいたら、急にこのような悲しいエピソードが出てきます。あ、ちなみに現代語は全部マイ訳なので悪しからず。

主要な弟子のほとんどは、孔子より先に病死したり、戦死したりします。孔子はそれを、静かに看取っていくのです。こうした悲痛さが、テキストの端々に見え隠れすることがあって、『論語』を思想書を越えて、孔子の人物像にまで迫る本にしています。
弟子たちが先に逝くなんて、ドラマチックで悲しいじゃないか……。

レビュー

『論語』の主な内容は、“仁”と呼ばれる道徳です。

仁については、孔子自身、弟子たちに「仁とはなんですか?」と聞かれても、「わしにもわからんよ」と、はっきり答えを示しません。
言葉で定義してしまえば、形式的なものに堕してしまうと思ったのでしょうか。

ですが読んでいけばなんとなく、先祖や親、兄弟、友達を気にかけること。謙遜した態度でいること。私利私欲に走らないこと。目上のものにおもねることをせず、目下のものを差別しない。中庸の精神ともいわれる哲学が浮かび上がってきます。
“礼”というのも出てきますが、これは仁の精神を、形に表すことと言えるかもしれません。孔子は何やら異様に、お祭りごととか、伝統を気にかけます。

ここらへんの内容は儒教の教えだなぁ。という感じで、「当たり前だが、そうだ」という気持ちで、うなずきながら読んでいました。

そんななかで意外な興味深いテキストに出くわします。例えば…

子の曰く、詩に興こり、礼に立ち、楽に成る

先生が言われた、「(人間の教養は)詩によってふるいたち、礼によって安定し、音楽によって完成する

泰伯第八 金谷治 訳

という一説などです。
孔子というのが、斉の国に亡命した際その国の音楽に衝撃を受け、以来ものすごい音楽好きになるんですね。肉の味を三月も忘れたそうです。
なぜ唐突に音楽の話がここに出てくるのか。

以前『ホモ・ルーデンス』という本を読み解いたとき、ネットも漁っていたら、白川静の『遊字論』に出会い、これが孔子とも結びつきます。

白川静はこの一説とさらにもう一つ、

子の曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝に遊ぶ

先生が言われた、「道を目指し、徳を根拠とし、仁によりそい、教養に遊ぶ

述而第七

という一説を引いて、この二つの説が対応していることを指摘する。
藝に遊ぶ=楽に成るらしい。
「“遊び”が、あらゆる文化を生み出していった」というのが『ホモ・ルーデンス』の内容で、“音楽によって完成する”とは、ホイジンガの言葉を借りれば、“リズムとハーモニー”、整然とした秩序を創造しようとする人間の衝動だ。

学問や教養も、“遊び”が本質だった。遊びのなかに学びと創造がある。

子の曰く、これを知る者はこれを好む者にかず。これを好むものはこれを楽しむものに如かず

先生がいわれた。「知っているだけの者は、好む者に及ばない。好むだけの者は、楽しむ者に及ばない

雍也第六

好きこそものの上手なれ。なんて言葉を聞いたことがありますが、これは足りない言葉だったのだ。孔子は“好む者”と“楽しむ者”で、差があるのだと言っている。これは大変なことだ。

読んだあと、“好き”と“楽しい”の違いについてちょっと考えました。
“スキ”というのはちょうどnoteの機能にもありますが、何か自分が気に入ったものを肯定するというアクションだと思います。
いっぽう“楽しい”とは、その輪のなかに入って自ら戯れるようなニュアンス、対象への没入なのではないかと思います。我を忘れて遊ぶこと。

そして例えば、以下のような一説が投げかける意味がわかるだろうか。

顔淵・季路侍す。子の曰わく、なん各々爾おのおのなんじの志しを言わざる。子路が曰わく、願わくは車馬衣裘いきゅう、朋友と共にし、これをやぶるともうらみ無けん。顔淵の曰わく、願わくは善にほこること無く、労を施すこと無けん。子路が曰わく、願わくは子の志を聞かん。子曰わく、老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、少者はこれをなつけん。

顔淵と季路とがおそばにいたとき、先生はいわれた、「それぞれ自分の志を話してみないか」子路はいった「車や馬や着物、毛皮の外套を友達といっしょに使って、それがいたんでも、くよくよしないようにありたいです」顔淵はいった「善いことを自慢せず、人に苦労をかけないようにありたいです」子路が「どうか先生の志も聞かせてください」といったので先生はいわれた「お年寄りには安心してもらえるように。友達には信頼されるように。若者には慕われるようになることだ」

公治長第五

弟子の顔淵、子路は自分の志を「〇〇しないこと」と定義するのですが、孔子は「〇〇すること」を自分の志にしています。(詳しくいえば、〇〇してもらえるようなことをする。でしょうか)

これが好むこと、しないことの受動的態度と、楽しむこと、することの積極的態度の違いなのだと考えてみたくなる。

学問や創作の始まりは遊びです。遊びは利益や合理性から解放された行いであり、その楽しさ、晴れやかな感激のなかで、新しい文化、芸術が花開いていく。
これを知る者、これを好む者とは、自らプレイヤーになろうとしない態度のことで、「論語よみの論語しらず」という言葉の通り、すでにある誰かの価値観を肯定するだけになってしまう。
楽しむ者、積極的に首を突っ込んで没入する者だけが、本を読んでも、映画を見ても、自分だけのスキを持ち帰ることができるんじゃないか。僕はそういうことに忠実でありたいと思ったのです。

あとがき

儒教についてわかるかなと思ったのですが、どうやら『論語』をはじめとする『大学』『中庸』『孟子』、さらに五経を合わせた九つの書物で一つの思想なのだと、調べてわかりまして、今すぐは手に負えない……。
それでも次は『荘子』を読みたいと思います。間に何か挟むとは思いますが。

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