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くるりのはなし。

高校生の頃。
日本の音楽なんて殆どがしょうもないわ、なんて酷く青臭い間違いを抱えたまま、イギリスのロックに夢中になっていた。
そんなクソみたいな間違いは友人が聴いていた中村一義の「ERA」というアルバムを真似して聴いて、強制的に正された。
そして、僕が聴き漁っていたイギリスやアメリカのロック・ミュージックを日本という国のミュージシャンたちはどう解釈していったのか、というのを掘り下げる期間に入っていった。

くるり、というなんとも力が抜ける名前をしたバンドに出会うまでにそんなに時間はかからなかった。僕がくるりを聴き出したのはニューシングルとして「Superstar」という曲がリリースする直前くらいだった。

へんなバンドだな、と思った。
アルバムごとに音楽性が違うし、メンバーチェンジも激しい。
くるり独特のコード進行であるとか和音の響き、そして岸田氏が綴るクセのある、だけどやけに耳に残る日本語。「ロックをしている」というのは分かるのだけど、なんだかそれだけじゃないな、でもなんて例えたら良いかわからないな、みたいな感覚。

「くるりを聴きたい」と思う時がある。それは他のバンドや音楽じゃ代用できなくて、「くるりしか聴きたくない」という言葉に言い換える事ができる。
これはまあぁくるりだけじゃなくても、好きなバンドに対してはよく思うことなのだけど、くるりにおいては「どのくるりを聴きたいか」というのが付随する。
交差点で右折をしたいのだけど、一旦まっすぐ進み、進行方向を変えてから目的地に向かう二段階右折のようなじれったさがあるけれど、そこがいい。
今日は「アンテナ」かな、とか今は「ワルツを踊れ」でしょ、みたいに気持ちや季節や環境によって聴きたいアルバムを選べる、選べるくらいバリエーションがあるのが、くるりの強みだと思う。

くるりを聴いてるとジャンルなんて重要じゃないんだな、と思うのだ。
くるりが演奏すればカントリーもヒップホップもクラシックもダンスミュージックでもなんでも、なんだかロックだなって思うし、ロックと言うか、くるりだな、となる。

ああ、だめだな。こんなに好きなのに言葉にすると全然うまく伝えられない。なんなんだろう、くるりって。

「ソングライン」それが、先日発売されたくるりのニューアルバムのタイトルである。そのアルバムを聴きながらこの文章を書いてる。
ソングラインという言葉はアボリジニの神話をうたったものを意味するそう。うたう過程で出てくる生き物や植物や自然…そんなオーストラリア全土を内包した言葉でもあるとか。解釈が間違ってなければ。笑

この「ソングライン」は、くるりというバンドの今までの歴史が詰まっている。そしてこれからのくるりのことも。
新しいものと古いものの邂逅。それが結果新しいものを生み出していく。
くるりというなんともふしぎなバンドの神話がここには詰まっていて、これからまた語り継がれていくのだろう。もとい、うたい継がれて。

・・・

余談だけど、父が息を引き取った朝、葬儀場へ向かう車の中で繋いだままにしていたiPodから「その線は水平線」が流れていたことをよく覚えている。
だからその曲を聴くと同時にその朝を思い出してしまってツラくなってしまうのかなとぼんやり思っていたけれど、今聴いたらそんなこともなかった。
それが何を意味するのかとかは難しすぎてよく分からないけど、「その線は水平線」という曲がほんとに好きだ。好きなままでいてくれて、良かった。

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