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「鏡」。


 とある町の外れに、一軒の小さな雑貨屋があった。その雑貨屋は店主の男がひとりでやっている店で、混雑することもなく、かと言って潰れてしまうということもなく、店の中には、静かな時間が流れていた。

 ある日の、客が誰もいない時間に一人のの少年が店にやってきた。少年は店の商品を次々に手に取っては、もの珍しそうに眺めていた。店主は、初めは注意して見ていたが、少年は商品をとても丁寧に扱っていたので「他にお客さんもいないしな」と思い、自由にさせていた。

 店主が輸入のティーカップを磨いていると、少年が話しかけてきた。
「おじさん、おじさん」
自分ではまだ「おじさん」の年齢ではないと思っていた店主は、少し複雑な気持ちになりながら「どうしたの?」とやさしく聞いた。
「おじさん、鏡は、何色なの?」
少年は、手鏡を手に持っていた。その手鏡は、丸い鏡面を緑色の木枠がフチ取り、同じ色の柄がついていた。店主は「緑だよ。違う色が欲しい?」と聞いた。
「みどり…?」
少年は、そう呟きながら、手鏡を見た。そして、もう一度店主に目を向けると、こう言った。
「違うよ、鏡は、何色なの?」
そう尋ねる少年は、鏡面を指さしていた。丸い鏡面は、少年の顔を映し出している。
「そこは、銀色だよ?」
その返事を聞いて、少年は「銀色…?」と首をかしげた。
「…違うよ?銀色っていうのは、こういう色だよ?」
少年は、近くにあった銀細工の指輪を手に取った。指輪は、店の照明を反射し、キラキラと輝いている。そして、確かに銀色だった。
「でも、鏡はこんな色はしてないよ?」
少年が鏡を店主に向けた。鏡が店主の顔を映し出す。その鏡に映った自分の顔を見ながら思った。確かに、「鏡は銀色」という事を当たり前に思っていた。しかし、実際に鏡が銀色であるのを見たことがない。鏡は常に何かを映していて、その色に染まっている。店主は、少年の質問に答えられなかった。

「鏡は何色?」

 その日から、店主はその事ばかりが気になり、一日中、店の鏡を眺めた。鏡を眺めていて客から声をかけられても気づかず、「ナルシストなんじゃないか?」と笑われた。
 
 家にいても鏡の事が頭から離れず、洗面台で手を洗う時に目の前の鏡に見入ってしまい、長い時間水を出しっぱなしにしてしまった。風呂の時間も長くなり、何度ものぼせそうになった。

 しかし、店や家にある鏡では、鏡の本当の姿を見る事はできなかった。そこで店主は、片っ端から鏡を仕入れた。南の国の鏡、北の国の鏡。男性の職人の鏡や、女性のデザイナーの鏡。子供用のおもちゃの手鏡から、大人が好みそうなものまで。どこかに、本当の色を見せる鏡があるかもしれないと、ありとあらゆる鏡を仕入れた。しかし、どの国の鏡も、誰が作った鏡も、本当の色は見せなかった。どの鏡をいくら覗き込んでも、自分の険しい顔が映るばかりだった。

 店主はだんだんと、鏡が本当の色を見せない事に腹が立ってきた。人間も同じだ。自分の本当の姿を見せずに、上っ面だけのやつは性格が悪い。そう思うと、店主は、自分の店の居心地が悪くなってきた。自分の本当の姿も見せない、いやな奴らに囲まれて生きているような気がしてきた。

 居心地が悪くなると、仕事をする気が起きなかった。店内は散らかってホコリがたまり、店の雰囲気は暗くなった。おかげで、客は一人も来なくなった。その暗くなった店で鏡を覗くと、闇の中に険しい顔をした自分が映った。それはまるで、地獄への入り口のように感じられた。

 そんなある日、一人の女性が雑貨屋に入ってきた。柔らかい雰囲気をまとったその女性は、軽やかに波打った栗色の長い髪の毛を歩くたびにふわふわと揺らしていた。その女性の雰囲気だけで、店が明るく感じられた。女性は店内を眺めて、「うわぁ」と笑った。

「鏡がたくさんあるんですね!」

女性は、店の中にある様々な鏡を見て、嬉しそうな声を出した。
「店主さんは、鏡がお好きなんですか?」
むしろ逆だ。大っ嫌いだ。だが、「えぇ、まぁ…」と濁した。
「いいお店見つけたなぁ~」
女性は、髪の毛を揺らしながら店内を見て回り、鏡を手に取っては覗き込む、という動作を繰り返した。女性の、商品にかぶったホコリを払う仕草も、とても美しかった。
「鏡っていいですよね」
女性が手に取った鏡を覗き込みながら、やわらかく笑う。店主は「まぁ、そうですね…」とあいまいな返事をした。

「鏡って何色かご存知ですか?」

不意に言われたその一言に、店主は「知ってるんですか!?」と思わず大声をあげた。女性は、「ふふふ」と静かに笑った。
「私も、知りません。鏡って、本当の自分は見せないですから」
店主は落胆した。しかし、女性はまた小さく笑って、言葉をつづけた。
「鏡って、優しいですよね」
その一言に、また驚いた。本当の自分の色を見せない鏡が、なぜ優しいんだ。本当の自分をさらけ出さない、イヤなやつじゃないか。店主は「そうですか?」と返した。女性は「優しいですよ」と笑顔のまま言った。
「鏡は、本当の自分は隠して、私が見たい色に自分の色を変えてくれます。とっても優しい」
「こんなに優しいもの、他にないと思うんです」と、持っていた鏡で自分の顔を映した。そして、店主の隣まで来ると、「ほら」と店主に顔を近づけてきた。突然、女性の顔が近づいてきた事に店主は驚き、小さく「わわっ」と声を上げた。慌てている店主に、女性がもう一度「ほら」と言い、鏡面を指さした。女性の顔の隣に映る店主の顔は、照れて戸惑い、とても間抜けだった。

「あはははははは!」

その、間抜けな自分を見たらおかしくなり、店主は大声で笑った。鏡に映った、大声で笑う店主の顔は、とてもやわらかく、明るい表情だった。

 女性は、その鏡を買って帰って行った。「また来ますね」と微笑んでいた。

店主はそれ以来、鏡が愛おしくなって店にある鏡を全て綺麗に磨いて丁寧に並べた。たくさんの鏡を並べた事で光の反射が生まれ、店内の明るさが増し、以前よりもお客さんが入るようになった。

 しかし、混雑して苛立つ人もおらず、みんな笑顔で会話をし、店の中にはとてもいい空気が流れていた。鏡に囲まれた居心地のいい空間で、店主は店を続けるのだった。

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