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大震災と、彼の記憶


8年前。2011年の9月。わたしは宮城県の南三陸町にいた。

東日本大震災からはちょうど半年。勤めていた老人ホームを辞めたタイミングだったこともあり、震災で甚大な被害を受けたこの地に、災害ボランティアとして足を運んでいた。
滞在期間は10日間。125ccのバイクで、下道をまる2日かけてやってきた。
全行程を含めた期間は2週間だ。

一般参加者のボランティア活動はだいたい1日から、長くても3日ほど。
わずか10日の滞在だが、地域のボランティア活動をまとめているボランティアセンター所属のリーダーたちに次いで長い期間、あの地にいたということになった。

当初は、当時勤めていたアルバイト先である、新横浜ラーメン博物館での経験を生かして、被災地で紙芝居をやろうとおもっていた。
TVに映る被災地は、徐々に活気を取り戻そうとしていた。子どもたちはきっと、たいくつしているだろうとおもったのだ。

だが、現地に入った瞬間、それはおおきな勘違いだったと気がついた。
骨組みだけがむき出しになった防災対策庁舎。車が屋上に乗ったままの家屋。見渡す限りのガレキの山。
見るものすべてが、衝撃的だった。
あわてて紙芝居のセットを送り返し、身体ひとつでボランティアセンターに向かった。

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当時の南三陸町では、新規の入隊は1日30人までだった。
朝8時半に受付が始まり、前日から継続しているひと、ボランティアツアーや天理教などの団体バスで来たひとたちと共に、派遣先の振り分けが始まる。
9時には派遣先ごとに分かれてのミーティング。
派遣先ごとに1人以上付くリーダーが場所や地震が起きた時の避難経路などを説明、ボラセンの総隊長からはマナーについての注意。

9時半には現地に到着。派遣先は時には瓦礫の山の中。ある時は海岸沿いの道路の側溝。また、別の日には中学校の校庭であったりした。

当時のボランティア活動は、倒壊した建物のガレキ仕分けと、側溝の泥上げが主だった。
建物のガレキは金属・産廃・生活用品のゴミや草木が混ざっていて、時に悪臭を放っていた箇所もあったし、側溝が埋まっていたせいで、雨が降ると国道以外は水浸しになっていた。震災から半年、復興は驚くほど進んでいなかった。

休憩は意外にも多く、1時間~1時間半ごとに15分程度の休憩を挟む。
昼の休憩1時間を含め、3~4回は休憩があるので、ゆっくりしている。
仕事ではないので、決して無理はさせないようだった。
休憩中は無料でクーラーボックスに用意された冷たい水、清涼飲料水などを飲むことができる。
3時には撤収、3時半には受付テント前で解散となる。実質活動時間は4時間~4時間半くらいだっただろうか。

微力ではあるが、わたしもちょっとはお役に立てたのかな、という気持ちである。

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強烈に印象に残っているのは、ひとりのリーダーとの出会いだった。

キムさんと呼ばれていた彼は、当時まだ大学生だった。わたしより、3つ4つほど年下だったはずだ。
きびきび動く、活発で笑顔がすてきな青年だった。彼とはたまたま、派遣先がよく被り、会話を交わす機会も多かった。

たしか、わたしの帰る前日だったかとおもう。雑談のなかで彼がふっと漏らした一言があった。
「実は俺、在日3世なんすよね。」
キムさんはあだ名ではなく、本名だった。それまでは、ぜんぜん気付かなかった。
その告白に対して、わたしがどういう言葉をかけたのかは覚えていないが、彼の返事はいまでも覚えている。
「いや、正直周りからはすげー反対されたんすよ。親とかじーさんからも。でもさ、祖国とか国籍とか、そんなん関係ないじゃないっすか。やっぱ俺、日本が好きだし。俺が生まれ育ったのはここだし。そう思ったら、なんかここに来てたんですよね。」

身震いがした。

わたしは専門学校時代、「睡眠学習」と称して授業中に寝てばかりいた。
そのころのわたしと歳の変わらない彼は、こんなに重いものを背負って、それでも気持ちだけでここに立っている。

わたしの返した言葉に「ほら、俺みたいなのっていま、あんまし好かれないじゃないですか。」とすこしさみしそうな顔をした彼は
「俺、今日で終わりなんすよ。最後に話せてよかったっす。あ、Bさんももうちょっとでしたっけ、がんばってくださいね。」
最後に、そう笑顔でそう締めくくった。そのあとのことは、不思議とまったく覚えていない。

わたしたちには、みんなそれぞれのかんがえかたや思想がある。もちろんそれそのものを否定するつもりはない。
だが、ものごとに否定的な見解を示すことと、暴言を吐いたり、差別的な発言をすることには、天と地ほどの差がある。
彼のような人間が心を痛める表現を、少なくともわたしは、もう二度と使いたくない。
ものごとの表現について、真剣に向き合うきっかけになったのは、まちがいなく彼との出会いのおかげだった。

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キムさんのあの言葉は、この南三陸町の風景とともに、いまもわたしの心に強く残っている。


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