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ひまわり畑に行く女・行かない女

私は、ひまわり畑に行かない女である。


今日は8月1日、季節は夏である。

先日、一人しかいない友人が泊まりに来た時、友人の電話が鳴った

内容は、ママ友から「ひまわり畑に今から行くんだけど、よかったら一緒に・・・」的なやつだ。

「え~いい!」「今度いこ」と、電話を切った後ひまわり畑を検索する彼女・・彼女を否定するわけでもなく、私は唐突にポカンとした

そして思った「ひまわり、そんなに好きなの?」と。

「そんなにひまわり好きなん?」と反射的にポカンとした自分が、俯瞰的に見え、「あーまたやっちまった。でちゃった」と思った。

ちょっとおかしい私には、このように著しく社会性が欠落してるが故に起こる現象がある。でも、私はただ正直なだけなのだ。


そこで、

「ひまわり畑に行く女」「ひまわり畑に行かない女」の考察

が私の脳内で幕を開けた。こうなると手がつけられない。

LINEの返信もせず、ただただ自分と会議が始まる


私は「ひまわり畑に行く女」に、違和感と憧れを感じる

彼女たちは、「ひまわり」を人一倍好きなわけではない

たまにいる「リュックを背負って散歩をして、いい景色を見るのが好き(山に登ったりするような)」タイプでもない

ネットや雑誌を見て「わーこんなとこあるんだ」「いったことなーい」で、(批判しているわけでは全くない)軽率に「ひまわり畑に行く」のである。


一方「ひまわり畑に行かない女」神奈川県代表:私らは、「ひまわり」を異様に好きでもなく「景色好き」でもない。だから「わざわざ」、「ひまわり畑には行かない」のである。


「ひまわり畑に行く女」

・友達の電話にでる(電話がかかってくる友達がいる)

・さくっと外出できる

・キャンプとか焼肉とか行ったりする

・休日に外出できる

・「きれー!」「たのしーい!」「おいしー!」と言う

・人に話しかける

・・・などなど

彼女らは、優秀な社交術をもっているのだ


一方、「ひまわり畑に行かない女」私は

・誘われると困る

・友だちがいないか、ごくわずか

・世の中のほとんどのものに興味がない・薄い

・人を喜ばせるコメントが思いつかない・思いついても嘘くさくて言うのが恥ずかしい

・ひっそりと暮らしているか、さばさばキャラを設定して暮らしている

そして

・「ひまわり畑に行く女」に憧れもしくは劣等感がある

私もひまわり畑にいってみたいなぁ・・

・でも「ひまわり畑に行けない」「行っちゃいけない」のだ。ひまわりと自分に失礼だ、とすら思っている

自分が本当に好きなところ・会いたい人にしか時間を使えないのだ・・・

そんな自分への劣等感と愛着を重ねている

今夏も私はひまわり畑には行けない

けど、行ったら案外ひまわりの美しさに感化されて、ひまわりをたくさん抱えて帰ってくるかもしれない。私はそんな女だ。

友だちにかかってきた電話越しに漏れる「ひまわり畑」から、私の脳内はこんなんになる。

#今日も私は 、ちょっとおかしい

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