しんら

アイコンは裏山でとってきたやつです。

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最近の記事

#9新世界と虚実

「多面体、って感じがしない?」 「この街がですか?」 「雨後の街が」 「どうでしょう。分かるような気はしますが」 「そう」 なにも解ってないのね。 彼女はそう言って黙った。 僕も言葉を返さなかった。 その声だけを覚えている。 顔は忘れてしまった。 無かったのかもしれない。 大理石の壁には虚像が映る。 たくさんある、この街の顔のひとつ。

    • #8新潟の海と青い音楽

      とても簡単に 僕たちには聞こえていた 見えていた 空をわたる青い音楽 夜の魔人の黒いマント 今は 少しだけ 骨が折れる まだ夜が明けない日本海をのぞむ電車に揺られながら、14才のころに読んだ一文を寝不足のぼんやりした頭で思い出していた。 感受性は失われていく。この瞬間にも。 分類し、細分し、体系化し、言語化して、 大人になるために、生きていくために、僕が得た解像度の高い真実は、いつの間にか大好きだった憧れから光を奪っていった。 世界を描くための画材があるなら、かつての

      • #7高千穂の朝日とめがね

        野良犬のようにめがねが死んでいた。 アスファルトの上で器用に右側だけ煎餅になったそれはいつも鼻の上に乗っかってた俺の身体の一部で、さっきまでポッケの中で大人しくしていた俺の相棒である。 高千穂に来たのは新調した自転車の試運転のためだった。爽やかな朝の景色を眺めていれば多少視力も回復しないかと裸眼になってから、ものの五分ほどでそいつはポッケから家出を遂げ、そして後続のトラックに轢かれた。あっけない別れだった。 自転車を立て掛けた看板には神話で有名な天岩戸が近所にあると書いて

        • #6丸の内と出口のない夜

          初めて東京に来た夜、どこに向かっていいか分からずに、辿り着いたのが東京駅だった。 用事があった訳ではない。灯りに吸い寄せられる虫のように無根拠で、ひどく不確かな足取りだったように思う。 地上は長い工事期間のただ中で、自由に行き来は出来なかったから、地下鉄を降りてからはずっと、地図を見ながら、地上に上がっては下りてを繰り返す、ゲームセンターの壊れたモグラ叩きのように丸の内の地下通路をウロウロしていた。 たくさんの出口が目の前に現れては消え、そのどれもが正しく思えると同時に

        #9新世界と虚実

          #5倉吉の海岸と白い巨人

          聖書の次に刊行されているらしい中世の名著、『ドンキホーテ』。その中の有名なエピソードのひとつに、ラ・マンチャの風車についての話がある。 乾燥した大地に立つ白い風車を巨人が変身した姿だと思いこんだドンキホーテが、無謀にも突撃を仕掛けるという逸話だ。 舞台はスペインだったが、似た景色は鳥取の海岸線に広がっている。 倉吉の駅を過ぎてから、海側の車窓をぼんやり眺めていると、海岸に沿って巨大な風力発電用の風車が林立しているのが見えた。 スペインに行ったことはないが、かの地の風車は

          #5倉吉の海岸と白い巨人

          #4明日香と夕暮れ

          ゆうぐれの飛鳥はただただ、侘しい。

          #4明日香と夕暮れ

          #3伏見稲荷と天狗

          伏見稲荷の例祭には「天狗榊」と呼ばれる山車が現れる。 榊の枝と稲荷大社の額を設えた山車の上には、赤い天狗の面が掲げられ、春の京都を練り歩くのだと聞いた。 京都の天狗と言うと牛若丸が師事した鞍馬山の方しか知らなかったが、鞍馬から遠く南に下ったこの山にも、どうやら天狗は居るらしい。 夜の山深くへと続く、鳥居の道を歩きながら、ひとりそんなことを考えていた。 日中、人が多過ぎて頓挫した散策の続きと思って来た伏見稲荷だったが、夜は夜で静寂と不気味さが合わさってそれなりに趣深い。

          #3伏見稲荷と天狗

          #2須崎の駅ととんがりコーン

          小さな駅で乗ってきた小学生たちと目が合った。 「うあわああ!旅人だあああ!!!旅人がいるぞおおお!!」 「とんがりコーンだ!!とんがりコーンだ!!」 …いいかい。落ち着いて聞いてくれ。 人を指さしてそんなテロリストの首根っこをとっ捕まえたように叫ぶのはよすんだ。 乗客のみんながこっちを見ているじゃないか。運転手さんもチラチラ怪訝な目をこちらによこしている。 あとな、少年。 これは厳密にはとんがりコーンではない。 笠だ。 山あいを抜ける車両は、 もうすぐ四万十川を

          #2須崎の駅ととんがりコーン

          #1鳴子温泉と遥か彼方の銀河系

          「英語なんて言葉なんだ、こんなもんやれば誰だってできるんだ」と叫んでいた某有名塾講師がいたが、その意見自体には大いに賛成だ。外国語が嫌いなわけではない。実際、英語の実績が極端に悪かった訳ではなかったし、街で迷子になっている外国人に「あっちやぞ」と言うくらいのことはできる。ただ、思っていることが口に出てくるまでのタイムラグや、「これであってるんだっけ」と逡巡することに対してのストレスは俺にとって看過できないものだったので、正直喋らずに済むならそれに越したことはない。 苦手意識を

          #1鳴子温泉と遥か彼方の銀河系