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バンドマンに憧れてた。

「バンドマン」ってのは、努力してなれるような職業ではないように思える。もうそれしかできないという、ある種の狂人が就職するものであると。

崇高な志を持ち合わせてたわけではないが、「バンド」という職業に憧れた時期があった。高校生の時に始めた「バンド」というものの虜になり、上京し、それなりに音楽活動をしていた。
しかしあるとき、考えてしまった。音楽で食っていく必要ってあるのだろうか、と。子供が元気に歌う姿や街のお祭りのかけ声、おじいさんが歌う名もなき曲。それらはどれもが素晴らしいことに違いないし、金銭の要求などもない。

「ヒト」というものの根源的な「うた」は、つまるとこ自分が気持ちよくなればよいのである。それを職業にする必要が、少なくともオレにはなかった。それでもギターを弾いて、歌って、曲を作ったりする。それらが前よりも楽しくなった。義務感がなくなったからである。音楽とはそれほど崇高なものではないからこそ崇高なものなのである。

と、ここで「バンドマン」。
あれはなんぞや。それしかすることがない、できない社会不適合者の狂人、あるいは天才の受け皿として存在している。人格破綻社会不適合者の狂人が人々に感動と熱狂を与えたのは紛れもない事実である。

「バンドマン」とは職業というより、生き方のことをいうのではないか。彼らの売っているものは音楽ではなく生き方であり人生そのものである。人々は少なからず狂人に憧れを持つものなのだ。
オレはそう思い、音楽で食っていくことを前向きに諦め、日常に音楽を落とし込むことにした。

夏の終わりの切ない夜には「若者のすべて」を弾き語るし、気持ちが落ち込んだ夜にはsyrup16gの「イマジネーション」を弾き語る。「うた」って、「音楽」って、そんなに複雑なものなのかしらん。
少なくともオレは、高校生の時に音楽理論もコードも分からなかったけど、音を出してみんなと合わせた感動や、初めての歪みギターのかっこよさに震え、朝が来るまで弾き続けたあの感動を忘れずにもってりゃいい。それがオレの音楽の根本なのさ。

でもやっぱり、バンドマンっていいよな。カッケーよ。
オレは諦めてしまった。

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