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数学=美しい?

「フェルマーの最終定理が・・・。」

この単語が、私の中の少年心センサーに引っかかった。

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ファティマ第三の予言とかオーパーツとか。そういう類のモノのに惹かれてしまうものだろう。少年は。その仲間だと思ったのだが、残念ながらフェルマーの最終定理は数学の世界の話だった。学校で習う意味がないと思ってた教科ランキング第2位の数学。ちなみに1位は美術だ。点Pはフラフラ動くな。兄弟は一緒に家を出ろ。「〜の解を求めよ。」と上から目線でくるのやめろ。そんなことがいちいち気になってしまうくらい好きじゃなかった。

最近見ている中田敦彦のYouTube大学を見ている時にこんなことを思った。フェルマーの最終定理が紹介されていた数学の回を見ていた時だ。数学の歴史やこの定理に挑んでいった天才たちのドラマが面白くて面白くて、気がつくと数学に興味を持っていた。そんな時に本棚から引っ張り出してきた読んだ本を紹介したい。


今回紹介する本は

この本は小説家である小川洋子さんと数学者の藤原正彦先生による対談形式なのでとても読みやすい。2人は「博士の愛した数式」の取材がきっかけで知り合ったという。後でこっちも読んでみたい。


第1部 美しくなければ数学でない

数学とか哲学とか実用にすぐ役立たないものが偉い。

日本人は美的感覚に優れているから、数学的にすごい。それは日本に俳句があるから。たった17文字で地球全体、宇宙全体を想像する感覚に慣れている。「荒海や佐渡に横たふ天河」とか。

顕微鏡で見るようなものでも、校庭に書いた馬鹿でかいのでも、100万年前でも現在でも未来でも「三角形の内角の和は180°である。」というのは永遠の真理。だから数学は美しい。逆さまにしたり、入れ替えたりしなければ成り立たない定理は美しくない。醜い定理。


第2部 神様が隠している美しい秩序

数学は実験科学のようなもの。天才は0.58695の2乗でも計算を嫌がらない。

美しいものほど有用性がある。予想されてから未だに証明されていない理論はたくさんあるが正しいと確信されているものも多い。その根拠は美しいから。数学的にあんなに美しいから、それが嘘のはずがない。神様が必ずこの宇宙をこういう風に作っているはずだと。

数学には正しいとも正しくないとも判定できない命題が存在する。しかし、これに当てはまる命題であるかどうかを証明する方法もない。

数学はその星の知的成熟度のパロメーター。文学や物理では宇宙人との知性を比較できない。銀河が違えば存在する元素も違うかもしれない。ところが数学だけは必ず同じ。宇宙人に「この星の生物の知能はどのくらいだ?」と聞かれたとする。「フェルマー予想を解いた!」と我々が言えば、「なるほど、なかなかやるな。」と言われる。


まとめ

なぜこんなに面白い話を小中学校の時に誰もしてくれなかったのか。公式や定理もそういうものだと割り切って覚えるだけじゃなく、「美しいんだぞ。宇宙人も同じように考えるんだぞ。永遠に変わらないことなんだぞ。」と教えられていれば数学が好きになっていたかもしれない。理系男子になっていたかもしれない。

「美しいものは正しいに決まっている。」という考え方は意外とすんなり受入れられた。スポーツでもトップアスリートの動きは美しいと感じるからだ。アスリートの動作はどこで切り取っても美しく、フォトジェニックだ。


題名通り、数学がなぜ美しいのかが分かるオススメの一冊です。

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