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大正時代の文豪がキリスト教に救いを求めた理由

聖書が与えたもの


時代背景が現在と似ている

大正時代には結核が流行しています。
堀辰雄のフィアンセ、樋口一葉、石川啄木、正岡子規、国木田独歩など、結核によって亡くなっています。

第一次世界大戦後、同盟国が勝利した喜びで満ち溢れていた日本でしたが、これといった戦果も無く、どんどんと戦後不況に襲われていきます。

不況に感染病という、現代と同じ状況だった大正時代。

政治は軍国化が進んでいく中で、国民は何も頼るものがないまま、苦しい生活を強いられていきます。
現在のインフルエンサーだった文豪たちも、国民にどんな生き方を指し示していったらいいのか分からないまま、作品を書いていたのではないでしょうか。

そんな中で、明治時代から切支丹が日本に上陸し、布教活動を続けていました。
厳しい切支丹弾圧があったものの、クリスチャンが細々と息づいていたのは、
「神頼みでも何でもいいから救われたい」
という、国民の悲痛な叫びがあったからではないでしょうか。

私たちは今、コロナ禍や不況と戦っていられるのは、こうした宗教や思想の自由を与えられているからです。
キリスト教や、仏教などによって、心の逃げ道をつくり、ようやくとして生きていられている人も多くいるはずです。

ましてや、大正時代にはまだ、切支丹の弾圧が根深く残っている頃で、人は駄目だと言われるほど反発してしまうという傾向を持っています。
そんな反発や、駄目だと言われるからこそ燃え上がるような想いで持って、聖書に救いを求めたのではないかとも思うのです。

日本には八百万の神が存在しますが、神は細部に宿っても、絶対的な神である『イエス・キリスト』という存在に憧れさえ、抱いていたのかもしれません。

今、私は聖書の読み合わせ勉強会を毎週開催していますが、現代を生きている私でさえ、クリスチャンではなくても心を掴まれる言葉にハッとしすることが多い聖書。
聖書という書物は、世界で一番多くの人が読んだというだけあって、心を鷲掴みにされていることは、事実として私が証明します。

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